反原発派は論理で勝てない相手に「御用学者」とか「原子力村」などとレッテルを貼って個人攻撃するが、著者にはそのレトリックは通じない。中西準子氏は、宇井純氏とともに日本の公害反対運動を立ち上げ、23年間も東大の助手として闘った闘士である。
しかし彼女は1987年にリスク管理という考え方にめざめる。リスクをゼロにするのではなく、「リスクはどこまで許容できるのか」と考えるのだ。そのとき大事なのは、次の式である。
リスク=ハザード×確率
しかし彼女は1987年にリスク管理という考え方にめざめる。リスクをゼロにするのではなく、「リスクはどこまで許容できるのか」と考えるのだ。そのとき大事なのは、次の式である。
リスク=ハザード×確率
ここでリスクは確率的な期待値であり、ハザードは1単位あたりの有害性、確率は本書では「ばくろ量」(放射線の場合は被曝線量)である。原発のハザードは大きいが、確率が小さければリスク(期待値)は小さいのだ。
まずこれがわからない人が多い。何度も引き合いに出して恐縮だが、河野太郎氏の「タバコは青酸カリよりリスクが低い」という話も、竹中平蔵氏の「原発は収益最大化に反する。事故が起きたら東電のようになる」という話も、原発のリスクではなくハザードを比較している。
次に多くの人がつまずくのは、リスクをゼロにしてはいけないということだ。ゼロにするのは簡単である。被災者はみんな福島県から出ていけばいいのだ。それが解決にならないという現実を見すえるところから、本質的な仕事が始まる。特に著者は「除染」が問題解決にならないことを指摘し、国の「1ミリシーベルト」という数値が一人歩きした弊害を批判して、望ましい目標値を提案する。
ただ本書は、本としては出来がよくない。半分近くが対談で同じ話が繰り返され、論点が拡散している。特に最後の上野千鶴子氏の話は、口汚く官僚を断罪して民主党政権を擁護する一方的な内容で、収録すべきではなかった。
まずこれがわからない人が多い。何度も引き合いに出して恐縮だが、河野太郎氏の「タバコは青酸カリよりリスクが低い」という話も、竹中平蔵氏の「原発は収益最大化に反する。事故が起きたら東電のようになる」という話も、原発のリスクではなくハザードを比較している。
次に多くの人がつまずくのは、リスクをゼロにしてはいけないということだ。ゼロにするのは簡単である。被災者はみんな福島県から出ていけばいいのだ。それが解決にならないという現実を見すえるところから、本質的な仕事が始まる。特に著者は「除染」が問題解決にならないことを指摘し、国の「1ミリシーベルト」という数値が一人歩きした弊害を批判して、望ましい目標値を提案する。
ただ本書は、本としては出来がよくない。半分近くが対談で同じ話が繰り返され、論点が拡散している。特に最後の上野千鶴子氏の話は、口汚く官僚を断罪して民主党政権を擁護する一方的な内容で、収録すべきではなかった。