資本主義の本質は、新古典派経済学のような均衡理論ではわからない。それを進化論的にとらえるオーストリア学派も、資本主義の最大の強みである巨大な資本蓄積を理解するには不十分だ。私は、資本主義の本質は戦争だと思う。それは競争の比喩ではなく、文字どおりの戦争である。
本書はこれを主題にし、強い君主が不在で「ヨーロッパでもっとも国家らしくない国家」と考えられていたイギリスが、なぜ強力な財政=軍事国家になり、18世紀以降の激しい戦争を勝ち抜いたのか、という謎を解明している。それは一般には「産業革命」で豊かになったためと考えられているが、イギリスの18世紀の成長率は年率1%弱で、フランスより低かった。では何がイギリスの強さの原因だったのか。
本書はこれを主題にし、強い君主が不在で「ヨーロッパでもっとも国家らしくない国家」と考えられていたイギリスが、なぜ強力な財政=軍事国家になり、18世紀以降の激しい戦争を勝ち抜いたのか、という謎を解明している。それは一般には「産業革命」で豊かになったためと考えられているが、イギリスの18世紀の成長率は年率1%弱で、フランスより低かった。では何がイギリスの強さの原因だったのか。
その一つの原因は、オブライエンも指摘する国債などの金融市場の発達である。イギリスが「産業資本主義」の中心だったことは一度もないが、18世紀から一貫してヨーロッパの金融・商業の中心だった。この意味で、イギリスの成功を生んだのはジェントルマン資本主義だった。
もう一つの要因は、都市化である。17~8世紀にイングランドの都市人口の比率は4倍になったが、他の国ではほとんど変わらなかった。これにともなって非農業部門の労働力が増え、労働人口の流動性が高まった。都市では輸送・通信手段が発達し、経済活動の最大の障害だった輸送コストが下がって全国一体の市場経済が生まれたのだ。
流動性の高い都市経済は、戦争のために資源を総動員(mobilize)する上で有利だった。武器を生産する工場は労働者を市場で募集し、金融市場で資金を調達できた。国家の軍事費も国債で調達でき、その償還も消費税で行なわれた。
第三の要因は、法の支配である。1688年の名誉革命で国王の独裁権力は弱まったが、イギリスの軍事的優位は強まった。政府支出の増加に議会が歯止めをかける立憲君主制が確立されたため、軍事支出は増加したのだ。18世紀のピークには税負担のGDP比は20%を超えたが、納税者はそれに耐えた。戦争は自分の財産を守るものだったからだ。
このように戦争は総合芸術である。必要なのは軍事力だけではなく、政府のリーダーシップと、それを監視する議会と、資金や労働力を供給する都市がそろっていないと、長期にわたる戦争には勝ち残れない。18世紀のイギリスにはナポレオンのような突出したリーダーはいなかったが、政府を信頼する市民が兵士として納税者として国家を支え、資本主義を生み出したのだ。
もう一つの要因は、都市化である。17~8世紀にイングランドの都市人口の比率は4倍になったが、他の国ではほとんど変わらなかった。これにともなって非農業部門の労働力が増え、労働人口の流動性が高まった。都市では輸送・通信手段が発達し、経済活動の最大の障害だった輸送コストが下がって全国一体の市場経済が生まれたのだ。
流動性の高い都市経済は、戦争のために資源を総動員(mobilize)する上で有利だった。武器を生産する工場は労働者を市場で募集し、金融市場で資金を調達できた。国家の軍事費も国債で調達でき、その償還も消費税で行なわれた。
第三の要因は、法の支配である。1688年の名誉革命で国王の独裁権力は弱まったが、イギリスの軍事的優位は強まった。政府支出の増加に議会が歯止めをかける立憲君主制が確立されたため、軍事支出は増加したのだ。18世紀のピークには税負担のGDP比は20%を超えたが、納税者はそれに耐えた。戦争は自分の財産を守るものだったからだ。
このように戦争は総合芸術である。必要なのは軍事力だけではなく、政府のリーダーシップと、それを監視する議会と、資金や労働力を供給する都市がそろっていないと、長期にわたる戦争には勝ち残れない。18世紀のイギリスにはナポレオンのような突出したリーダーはいなかったが、政府を信頼する市民が兵士として納税者として国家を支え、資本主義を生み出したのだ。