消えゆく手―株式会社と資本主義のダイナミクス
独裁と民主制のトレードオフは、企業理論にも当てはまる。20世紀前半までは資本主義が組織化され、チャンドラーのいうように「見えざる手」から「見える手」に移行する時代だった。そのまま企業は果てしなく巨大化するかと思われたが、1980年代以降に逆転し始めた。これを著者は消えゆく手と呼ぶ。

この原因は、コース以来の取引費用理論によれば最適規模の縮小である。企業は大きくなると規模の経済は大きくなるが、官僚制の「合理的支配」によってイノベーションが困難になる。これに対して、ウェーバーのいうカリスマ的支配で独裁にすれば「革命」が可能になる。
取引費用が小さくなると、コア事業以外をアウトソースする水平分業が可能になる。こういう個人資本主義は、一見18世紀の初期資本主義に似ているが、実態は逆である。産業革命期には輸送コストが大きく、垂直統合にコストがかかったので規模が小さかったが、今は輸送コストや通信コストが下がったのに対して、官僚主義のコストが相対的に大きくなったために最適規模が縮小したのだ。

これをJensen-Meckling(1992)の図に重ねると、次のようになる。図の右下がりの曲線は取引費用で、企業のスパンが大きくなると減るのに対して、右上がりの曲線は組織費用で、企業が大きくなると増える。両者を合計した費用を最小化するところで最適規模が決まるが、これは情報通信が発達して取引費用が下がると、図のように左(小規模)に移行する。

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日本の企業が強かったのは、チャンドラーの時代の後期に最適規模が小さくなる時期だった。それは法的な垂直統合ではなく、ウェーバー的にいえば非公式の慣習による伝統的支配で取引費用を節約し、最適スパンを小さくした。しかしこれは人々の共有知識に依存しているため、前例主義でイノベーションが生まれにくい。取引費用が大きく下がると、リーダーシップの強いカリスマの独裁が有利になる。

それが今、IT産業で世界的にオーナー企業が強い理由である。日本企業はカリスマを排除する天皇制の構造になっており、民主的に話し合って決めるため、品質は高いが凡庸な製品しか生まれない。逆にいうと、部品が多く品質が重要な自動車やエネルギー産業などの分野では、日本はまだ世界のトップである。この点でも第4世代原子炉は有望であり、これから原油価格が上がれば原子力の出番はまた来る。