ギンタスの訳者の川越敏司氏からのコメントに答えて、メモしておく。さっきの記事でも書いたように、所有権=既得権を守ることは進化的安定戦略だが、複数均衡のもとでは「最適」とは限らないので均衡選択のアルゴリズムが必要だ。これはギンタスも認識しているが、そこから話が「ベイズ的合理性」に逆戻りし、袋小路に入ってしまう。
歴史をみると、こういう均衡選択を制度間競争でやってきたことがわかる。たとえばRosenthal-Wongの指摘するように、中国では地方ごとに税率が違い、重税の地方からは人々が逃げ出した。同じような競争が中世ヨーロッパの都市国家にもあり、最終的にはexitによって効率の高い都市が生き残った。

しかし軍事力には規模の経済があるので、中国では大規模な統一国家が全土を統治し、官僚が民間の紛争を調停する属人的な相関装置になった。相関均衡を成立させるためには彼らは公平でないといけないので、きびしい試験によって選抜され、徳治主義が徹底されたが、その一族が宮廷に入り込み、腐敗が日常化した。

これに対してヨーロッパでは、市民のvoiceで国家をコントロールする民主政治が生まれた。これは都市の城壁の中ではexitのコストが高かったためだが、結果的には都市間の競争で効率的な(軍事的に強い)都市が生き残った。また狭い土地と少ない人口で性能のいい重火器を生産するため、資本集約的な産業革命が起こった。

それが最適かどうかはわからないが、戦争に勝つのは経済的に強い国だから、このダーウィン的な過程で豊かな国が生き残ったことは間違いない。つまりもっとも成長率を高める相関装置をもつ都市が生き残り、結果的に均衡選択が行なわれたと考えることができる。

近代国家の強さを支えていたのは、こうしたexitによるガバナンスだったのだが、それは国家が大規模化し、中央集権化すると機能しなくなる。それがファーガソンも指摘している市民社会と国家の乖離である。この解決策として、彼はメガシティの競争をあげている。

主権国家は軍事国家であり、このような戦争を管理する「死の政治」は今後も残るだろうが、現実の公務員の仕事の大部分は国民の生活を管理する「生政治」であり、これは都市に分権化すべきだ。このトリレンマは避けられないので、補助金や地方交付税は廃止し、高福祉・高負担か低福祉・低負担かは「足による投票」で決めればいいのだ。

資本主義は近世の都市国家の生んだ偶然の産物だが、このようなexitによる競争という制度的イノベーションをもたらした。ハイエクもいうように「パレート最適」なんてくだらない話で、競争の本質は参入・退出の自由にある。それは新石器時代(農業社会)ではストレスが多いが、旧石器時代のノマドに戻るだけだから、意外に日本人も適応できるかもしれない。