前にも書いたように、細川護煕氏や小泉純一郎氏が「原子力に過去に投じられたコストが天文学的」だから原発は高価だというのは、サンクコストの錯覚である。これは大島堅一氏のような研究者まで勘違いしているぐらいよく起こる。
同じ錯覚は、核燃料サイクルを守ろうとする官僚にもある。私が「過去に何兆円投じたかは、サンクコストだからどうでもいい。今後のコストが直接処分のほうが安いことは経産省も認めてるんでしょ?」と問うと、官僚は「直接処分にすると使用ずみ核燃料が資産に計上できなくなる」という。これこそ帳簿上の錯覚で、問題は今後のキャッシュフローだけなのだ。
サンクコストの錯覚が誤りであることを証明するのは簡単だが、なぜ誰もがサンクコストを気にするのかは簡単な問題ではない。実はこの現象は動物行動学でも知られている。たとえば鳥は、巣の外から他の鳥に攻撃されたとき、巣を守ろうとする。巣にじっとしていると攻撃されやすいので、今後のキャッシュフローを考えると逃げることが合理的だが、巣づくりに費やしたサンクコストが大きいほど巣を守ろうとする。
これをどう説明するかは生物学では結論が出ていないが、人間の場合は明らかだ。もし人々がサンクコストを守らないで逃げることがわかっていたら、自分で家を建てないで他人の家を襲撃することが進化的安定戦略になり、そういう集団は滅亡する。つまり集団淘汰で、自分のサンクコストを守り、他人の資産を守る集団が生き残ったと考えられる。
このような非対称性は、行動経済学でも賦存効果として知られており、ギンタスはこれが所有権の起源だという。所有権は人々がゲームを始める前にもっていた既得権だから、それを互いに守ることで紛争を防ぐことができる。日本人が既得権を大事にして今までの習慣を守るのは、バーク的な保守主義で考えると合理的なのだ。
これに対して異なる集団の間では、他の集団を襲撃する戦争が常態になる。ここでは武装してサンクコストを守る必要があるから、人類は100万年以上にわたって戦い続け、戦争に強い集団が生き残ってきた。このような形で最強の集団が他のすべての集団を支配するのが自然国家で、中国を初め歴史上ほとんどの国家はこの延長である。
それに対して戦争がいつまでたっても終わらないので、互いの既得権(領土)を守るという条約で成立したのが、近代の主権国家である。これは主権国家を拘束する上位のルールがないという欠陥をもっているが、そこには神の権威があると考えられる。国内で紛争が起こった場合も、同様に法の支配で解決する。
近代社会の基本原理である所有権も、このような自然権としての所有権を法的に追認したものだ。それを支えているのは「自分の労働の成果はどんな犠牲をはらっても守る」というサンクコストの錯覚なのである。
サンクコストの錯覚が誤りであることを証明するのは簡単だが、なぜ誰もがサンクコストを気にするのかは簡単な問題ではない。実はこの現象は動物行動学でも知られている。たとえば鳥は、巣の外から他の鳥に攻撃されたとき、巣を守ろうとする。巣にじっとしていると攻撃されやすいので、今後のキャッシュフローを考えると逃げることが合理的だが、巣づくりに費やしたサンクコストが大きいほど巣を守ろうとする。
これをどう説明するかは生物学では結論が出ていないが、人間の場合は明らかだ。もし人々がサンクコストを守らないで逃げることがわかっていたら、自分で家を建てないで他人の家を襲撃することが進化的安定戦略になり、そういう集団は滅亡する。つまり集団淘汰で、自分のサンクコストを守り、他人の資産を守る集団が生き残ったと考えられる。
このような非対称性は、行動経済学でも賦存効果として知られており、ギンタスはこれが所有権の起源だという。所有権は人々がゲームを始める前にもっていた既得権だから、それを互いに守ることで紛争を防ぐことができる。日本人が既得権を大事にして今までの習慣を守るのは、バーク的な保守主義で考えると合理的なのだ。
これに対して異なる集団の間では、他の集団を襲撃する戦争が常態になる。ここでは武装してサンクコストを守る必要があるから、人類は100万年以上にわたって戦い続け、戦争に強い集団が生き残ってきた。このような形で最強の集団が他のすべての集団を支配するのが自然国家で、中国を初め歴史上ほとんどの国家はこの延長である。
それに対して戦争がいつまでたっても終わらないので、互いの既得権(領土)を守るという条約で成立したのが、近代の主権国家である。これは主権国家を拘束する上位のルールがないという欠陥をもっているが、そこには神の権威があると考えられる。国内で紛争が起こった場合も、同様に法の支配で解決する。
近代社会の基本原理である所有権も、このような自然権としての所有権を法的に追認したものだ。それを支えているのは「自分の労働の成果はどんな犠牲をはらっても守る」というサンクコストの錯覚なのである。