言論アリーナでは7.6%の支持しかなかった細川氏だが、きのうの出馬会見も予想どおり支離滅裂だった。BLOGOSの記事によれば「脱原発」以外の具体的な政策はほとんど出てこなかったが、彼が何を誤解しているかはわかった。これは小泉氏と同じ、よくある錯覚だ。
現在、燃料費などで、海外に相当なコストを払っているわけですが、今まで原発事故の無責任体制のために、実は天文学的なコストがかかっているわけです。それが見えない形、税金の形で投入され、コストは安いという誤魔化しと嘘がまかり通ってきました。原発の安全性の問題や、核のゴミのことを考えたら、これがいかに割に合わないかは明確であります。
この「天文学的なコスト」とは何のことかわからないが、おそらく大島堅一氏のいうような電源交付金などの固定費だろう。それは「税金」ではなく電力会社が負担しているので、「誤魔化し」はない(ここは大島氏は正しく認識している)。こうした交付金はサンクコストであり、これから原発の新規建設はありえないので、過去のコストがいかに「天文学的」だろうと、今後の原発の採算性には関係ないのだ(大島氏はこれを錯覚している)。

「核のゴミ」のコストも民主党政権が計算した。JBpressにも書いたように、バックエンドも事故の賠償コストも含めて原子力が最低だ。原発に「天文学的なコストがかかる」というのは、小泉氏と同じく数字に弱い文科系の政治家が陥りがちな錯覚である。固定費の金額は大きいが、何十年にもわたって償却されるので、図のようにkWh単価は小さいのだ。


発電コスト(円/kWh)出所:エネルギー・環境会議


原発事故のコストも大きいようにみえるが、大事故の確率は低いので、その期待値は小さい。たとえば福島事故の賠償額が10兆円とし、これと同じ事故が100年に1度起こるとしてもkWhあたり0.4 円。これは損害保険で十分カバーできる。コストで考える限り、バックエンドも含めて原発は十分競争力がある。少なくとも全世界で毎年1万人以上を殺している石炭火力より安全だ。

問題は、確率的に計算できないテールリスクがあることだ。これも細川氏が錯覚しているように「国の存亡に関わる」問題ではなく、福島事故の健康被害は無視できるが、今後のリスクはゼロではない。これについてはGEPRにちょっと経済学的な説明をしたので、興味のある人は読んでほしいが、結論としては大型軽水炉の新設は望ましくない、というのが世界の専門家のコンセンサスである。

しかし既存の原発を止める合理的な理由はない。そのコストは1~2円/kWhと化石燃料に比べて圧倒的に安く、法的にも技術的にも今すぐすべて運転できる。大島氏も認めたように、すでに10兆円近い天文学的なコストに見合うメリットは何もないのだ。