キリスト教と資本主義をつなぐのは、結社である。しかしこれは丸山眞男が理想化したような「自立した個人の自発的なゲゼルシャフト」ではない。そんな上品なものでは、ローマ帝国の激しい弾圧には耐えられなかっただろう。丸山が指導した日本の左翼が挫折したのも、それが日本的キリスト教会のようなサロンだったからだ。
初期のキリスト教団の特徴は、その共同体的結合の強さだが、通常のゲマインシャフトとは違ってそれは開かれた共同体だった。「背教者」と呼ばれた4世紀の皇帝ユリアヌスの手紙は、止めようとしても止められない無神論者(キリスト教徒)の強さを次のように記している。
無神論者をこの上もなく発達させた理由は、他者に対する人間愛、死者の埋葬に関する丁寧さ、よく鍛錬された生き方のまじめさである。[…]それぞれの町に歓待する場所を多く設置せよ。外来者が我々の人間愛にあずかることができるように(田川建三訳)。
ここで彼が「人間愛」と書いているのは抽象的な博愛ではなく、よそ者を迎え入れる歓待(hospice)である。今でも海外で金を盗まれたとき、クリスチャンならキリスト教会が泊まる場所を提供してくれる。キリスト教はそういう地域を超えた相互扶助によって信者を増やし、彼らを弾圧したローマ帝国を乗っ取ってしまったのだ。

初期のキリスト教団の中心は、商人や職人だった(イエスもパウロも職人だ)。彼らはローマ帝国の各地を旅し、地縁共同体にも親族集団にも所属しないノマドだった。誰でも自由に参加できるが、共同体の中では鉄の団結を誇るキリスト教会は、信徒が地縁でも血縁でもなく信仰のみによって結びつくというパウロ主義の生み出したイノベーションだった。ニーチェはこう書いている。
このようにして「互いに助け合う意志」、すなわち家畜の群れを形成しようとする意志が、「共同体」と「共同食堂」を作り出そうとする意志が呼び起こされ、それとともにごくわずかではあっても誘発されていた力への意志がふたたび爆発して、さらに完全なものとなろうとしたに違いない。(『道徳の系譜』第3論文18節、強調は引用者)
ニーチェは「家畜の群れ」と否定的に書いているが、同じようなマーケティングは現代でも使われている。創価学会から日本共産党に至るまで、主な信者は地縁共同体から離れて大企業のような組織にも所属しない自営業者や未組織労働者などのノマドであり、彼らの入信の動機は孤独や不幸である。

このような信仰共同体という特徴はカトリック教会では異教的な伝統と混じって薄まったが、宗教改革はパウロ主義に回帰した。その特徴は、プロテスタントに改宗した者は誰でも受け入れるが、改宗を拒否する者は暴力で排除する不寛容である。ニーチェはルターを「ドイツの農民」と呼んで、その排他的な神学を批判した。

日本企業の排他性は資本主義の原型であるプロテスタント教会と似ているが、大きな違いはそれが閉じた共同体だということである。サラリーマンを結びつけているのは普遍主義的な信仰ではなく特殊主義的な人脈なので、いったん入ると抜けられない。共同体を支えるのは終末論的な目的意識ではなく、相互扶助による共同体の維持なので、それを指導する司牧者がいない。

フーコーは、このような司牧者が法の支配のような非人格的な統治性に置き換えられることが近代化だと論じたが、司牧者のいない日本にはその動機づけがないため、いまだに法の支配は理解されていない。このため、それは(よくも悪くも)日本の枠を超えて世界を支配する帝国主義にはなりえない。

かつて日本が列強をまねて支配しようとした満州や朝鮮は、それを徹底的に搾取する西洋的な植民地支配ではなく、日本に同化させて「五族協和」の「王道楽土」にしようというものだった。しかし表面的には日本に服従した植民地の民衆は、それを心の中では許さなかった。そこには彼らも共有できる普遍主義的な理想がなかったからだ。

「大東亜共栄圏」とか「八紘一宇」とかいうのは、戦争のために急造された無内容なスローガンであり、それに殉じた日本軍の兵士はだまされやすい「家畜」だった――そういう歴史を直視しないで「英霊」を美化することは、過ちを繰り返す原因になる。それは日本の企業がどう変わるべきかという問題とも無関係ではない。