はじまりのキリスト教
さっきの続き。金があまって余命が短い高齢化社会では、経済学の考えている「効用」より、人生に「意味」を与えるほうが重要だ。それは狭義の宗教にかぎられるわけではないが、20億人以上の信徒を獲得したキリスト教のマーケティングが成功した要因を考えることは、ビジネスマンにも参考になろう。

まず基本的なことだが、キリスト教はイエスその人とはほとんど関係ない。彼の弟子が初期教団をつくったことは事実だが、それだけではユダヤの泡沫宗教として消えてしまっただろう。新約聖書がすべてローマ帝国の公用語であるギリシャ語で書かれたことからもわかるように、それは古代ローマで発展した宗教なのだ。
ヘレニズムの伝統をもつローマ帝国で、なぜまったく別のユダヤ教につらなる特異な新興宗教が流行したのか、というのは諸説あって、いまだにはっきりしない。本書は第1次ユダヤ戦争(66~70A.D.)がそのきっかけだったと論じる。

これはローマ帝国に対してユダヤ教徒が起こした戦争だが、ローマの軍事力に圧倒されて完敗し、エルサレムは陥落した。このときユダヤ教も滅ぼされたが、その分派だったキリスト教は「自分たちはキリスト教という別の宗教だ」と主張して弾圧を逃れた。

実際には初期教団は「ユダヤ教イエス派」ともいうべき分派で、この対立は中核と革マルみたいなものだったが、権力の攻撃で一方が全滅したとき、他方が「私はマルクス主義ではない」といってマルクス主義を攻撃したようなものだ。

だから新約はイエスの使ったアラム語ではなく、ギリシャ語で書かれた。福音書にはパリサイ人=ユダヤ教徒が悪役としてしきりに登場し、最後はユダヤ教徒がイエスを十字架につけるよう求めたことになっている。このためユダヤ人であるイエスを教祖とするキリスト教が、皮肉なことに反ユダヤ主義の温床になった。

その中心人物パウロはユダヤ人だがローマ市民で、ギリシャ語が母国語だった。新約の中心は彼の手紙だが、その独創性は十字架の神学にある。それまで十字架はギロチンのような忌まわしい処刑道具だったが、彼はそれをイエスの受難の象徴として利用した。神の子であるイエスが侮辱的な形で処刑された逆説に、パウロは神の力を見出す。
キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(コリント人への第2の手紙12章10節)
説教というのは退屈なものだが、イエスの受難は劇的で謎に満ちている。その謎を解くことによって、聖職者は信徒にスリリングな物語として教義を語ることができた。それがパウロの意図だったかどうかはわからないが、この受難劇は退屈なローマ神話より民衆をひきつけ、異教の神々を超える魅力をもった。

「イエスは十字架で人類の罪をあがなった」というパウロの奇妙な神学は、多くの民衆には理解できなかっただろうが、イエスが無実の罪で処刑されて復活を遂げるドラマは、無数の演劇で演じられ、音楽や美術の題材になった。十字架はローマの異教的な伝統の中でキリスト教のアイコン(聖像)となり、その普及に貢献した。

もちろん他にも多くの要因があるが、このように人々の心に訴える物語をもっていたことが、キリスト教のセールスポイントだった。不幸な人々の不幸に意味を与えたパウロの神学と、それを演劇化した福音書は、おそらく史上もっとも成功したマーケティングだろう。