一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
靖国参拝に対する反応は、最初から立場が決まっている人が多い。「私はリベラルだから反対だ」という人がいる一方、「私は保守派だから賛成しなければならない」と思い込んでいる人も多い。そういう人は「国の誇り」とやらを振り回す前に、本書を読んでほしい。

保守派の論客だった山本七平は日本軍の狂気を詳細に分析し、その根底に明治憲法の致命的な欠陥があることをきびしく批判した。本書の308~10ページから引用しておこう(一部略)。
なぜこの民権派・人権派が統帥権の独立──いわば兵権と政権を分離し、政府に兵権をもたせず、これを天皇の直轄とせよ──と主張したのか。言うまでもなくそれを主張した前提は、明治の新政府が、軍事政権とはいえないまでも、軍事力で反対勢力を圧服して全国を統一した新政府、いわば軍事的政権であったという事実に基づく。

この先覚者たちにとっては、民選議院の設立、憲政へと進むにあたり、まずこの藩閥・軍事的政権の軍事力を”封じ込める”必要があった。軍隊を使って政治運動を弾圧する能力を政府から奪うこと。これは当然の前提である。

当時の進歩的主張が「軍は天皇の軍隊であって、政府の軍隊ではない。政府が軍隊を用いて我々を弾圧することは、聖権(天皇の大権)の干犯である」となったことも不思議ではない。ここに「軍は天皇の直轄とし、天皇と軍は政争に局外中立たるべし」という発想がでてくる。

だが、規定はあくまでも規定であり、その発想の基本を忘れれば、この考え方には、いくつかの落し穴があり、逆用も可能であった。その一つはまずその人達が、日本軍を「治安軍」と考えても「野戦軍」とは考えなかった点である。だがその後の日本軍の「軍事力成長率」は、戦後の経済成長率同様に恐怖すべき速度であり、いつしか軍事大国になっていた。

従ってこの状態のある時期には、日本の国土に、二国が併存していたと考えた方が、その実体がわかりやすい。一つは日本一般人国、もう一つは日本軍人国である。そしてこの一般人国と軍人国は「統帥権の独立」と、軍人は「世論に惑わず政治に拘わらず」の軍人勅諭の原則で、相互に内政不干渉を約している二国、そしてその共同君主が天皇という形をとっていた。

そして統帥権により日本国の三権から独立していた軍は、逆にまず日本国をその支配下におこうとした。そして満州事変から太平洋戦争に進む道程を仔細に調べていくと、帝国陸軍が必死になって占領しようとしている国は実は日本国であったという、奇妙な事実に気づくのである。
これがよく知られている「明治レジーム」の欠陥である。本来は天皇が民権派を弾圧する軍をコントロールするはずだったが、昭和に入ってから、軍はそういうコントロールを超えた怪物に成長してしまった。この失敗の原因は、天皇という名目的な君主が政府と軍を統括する明治憲法の「バグ」だった。

同じような欠陥は新憲法も受け継いでいる。それが明治憲法よりましなのは、強力な軍がなく、議院内閣制で首相に一定の権限があることだが、首相は閣僚の統括という明治憲法の性格を踏襲しているので、各省庁がタコツボ化して官僚が実権を握り、内閣の求心力が弱い。

憲法を改正するなら、こうした「決められない政治」を直すことが最優先であり、参議院にまったく手をつけない自民党の改憲案はその名に値しない。まして「英霊」に義理立てして日米同盟をぶち壊すなんて本末転倒だ。