プロテスタント思想文化史―16世紀から21世紀まで
資本主義を考える場合にキリスト教との関係は避けて通れない。本書もいうように『プロ倫』は今では問題にならないが、キリスト教圏以外で資本主義が生まれなかったことから考えても、キリスト教が大きな要因だったことは明らかだ。

プロテスタントは危険な宗派だった。その特徴は、カトリックと闘う軍団としての結束を守るための他宗派に対する不寛容である。特にカルヴァンは反対派を政治的に弾圧し、エラスムスやカステリオンなどの寛容を説く人文主義者を排除した。
これはもともとキリスト教(パウロ主義)の特徴だが、カトリックは全ヨーロッパに拡大する中で各地の土着信仰と融合し、アイコンのような偶像崇拝や聖母信仰などの異教的な要素を含むようになった。これに対してキリスト教を「純化」し、信仰の根拠を個人に置いたのが宗教改革である。

しかしこれでは個人の数だけ神ができてしまい、「神々の争い」による宗教戦争が続いた。これを収拾するために生まれたのが自由主義だった。ジョン・ロックは1689年、『寛容についての手紙』を匿名で出版し、国家の宗教への介入をやめる政教分離を提唱した。

表現の自由も信教の自由にともなって認められたもので、無神論者も投獄される心配なしに発言できるようになった。このように市民社会が国家の介入から自由になったことが、科学や市場経済の発達を促進した。啓蒙思想は近代化の原因ではなく、結果なのだ。

しかしこの自由は、ヨーロッパの中だけだった。西洋人はアフリカ大陸で奴隷狩りを行ない、黒人を新大陸に連れて行って強制労働させた。異教徒は征服の対象でしかないので、黒人も「インディアン」も動物と同列に扱われた。このように異教徒を人間とも思わない不寛容が、グローバル資本主義の推進力だった。そういう伝統のない東洋に、資本主義が生まれなかったのは当然だ。

そして帝国主義が焼畑農業のように世界を破壊し尽くしたあと、欧米諸国はようやく植民地戦争をやめて資本で支配する<帝国>に切り替えた。ここでは領土を奪う必要はないので、周辺国の国家主権は尊重されるが、経済は中心国に従属している。それはかつて政教分離のもとで「自立した個人」とされた労働者が、精神的には自由でも経済的には貧困から自由ではなかったのと同じである。