帝国主義と工業化1415~1974―イギリスとヨーロッパからの視点 (MINERVA西洋史ライブラリー)
「日帝36年」をうらむ韓国人は、日本が「植民地支配」で富を搾取したために韓国が遅れたと信じている(かなりの知識人でもそういう話をする)。しかしエッカートが実証したように日本の韓国併合の収支は大幅な赤字であり、これを植民地と呼ぶのは正しくない。

それでは日本が追いつこうとしていた「列強」の植民地支配の収支決算はどうだったのだろうか。これについては統計の入手可能性が限定されているが、本書はヨーロッパ諸国から植民地への輸出品の国内生産に占める比率を示している。それによれば、図1のように各国は18世紀までは植民地から利益を得ることができ、特にイギリスは大きかった。
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図1 ヨーロッパ各国の植民地むけ輸出の国内比率(%)

しかし帝国主義戦争の始まった19世紀以降、スペインは南米の植民地を失って経済が停滞し、フランスはアフリカに多くの植民地を建設したが市場としてはほとんど役に立たず、植民地支配は大幅な赤字だった。オランダ・ポルトガルはそれより少しましな程度だった。

他方で植民地戦争の財政負担は大きかった。1793年から1815年にかけてイギリスの軍事費は倍増し、政府予算の61%を占めた。このため国債の発行も1798年までに倍増し、国債は暴落し、利払い費が政府予算の30%を占めた。図2のようにイギリスの税負担は激増し、ナポレオン戦争時代の19世紀前半にはGDPの20%を超え、国債残高は200%を超えた。


図2 イギリスの税負担のGDP比(%)

イギリスがこの巨大な政府債務に耐えることができたのは、それまでに獲得した世界の植民地から収奪した富のおかげだった。このようなコストを考えると、イギリスでさえネットの収益はそう大きくなく、19世紀後半以降のヨーロッパ全体で植民地支配の利益はGDPの2%程度だった、と本書は推定している。

長期的にみると、初期の重商主義時代にイギリスが植民地(特に北米)から得た利益は大きく、この富によって大英帝国は世界市場を支配した。他方、大陸諸国(特にスペインとポルトガル)は18世紀までは植民地から利益を得たが、ナポレオン戦争で500万人近い死者を出して経済力を消耗し、植民地支配は縮小されてイギリスの競争相手はいなくなった。

19世紀後半以降はほとんどの国の植民地はお荷物になり、それを維持するコストや軍事費が利益を上回るようになった。イギリスも第2次大戦後に植民地が独立したため、財政破綻をまぬがれた。17世紀以降の400年を通算すると、イギリスがひとり勝ちで大幅な黒字だった以外は、ほとんどの国の植民地支配はプラスマイナスゼロ程度か赤字だった。

ただ激しい帝国主義戦争が各国の財政の効率化をうながし、経済力を強化するインセンティブになったことは間違いない。ヨーロッパ諸国が植民地から得た利益よりも、各国が競争したことによる経済効率化の利益のほうが大きかった。そういう「外圧」が恒常的にかかるしくみを結果的につくったことで、ヨーロッパは発展したのだ。

20世紀に入ってからは、植民地は財政赤字の元凶として各国で問題視されるようになったのだが、そのころどん尻で植民地争奪戦に加わったのが日本だった。結果的には朝鮮半島や満州への投資は大幅な赤字になったばかりでなく、無謀な戦争に突っ込んで国家が破綻した。韓国は、間抜けな大日本帝国のインフラ投資に感謝してもいいのだ。