クルーグマンが、次のような図をイングランド銀行のウェブサイトで見つけて喜んでいる。
図1 イギリスの政府債務のGDP比(青)と金利(赤)
図1 イギリスの政府債務のGDP比(青)と金利(赤)
彼は「歴史上で2回、イギリスの政府債務のGDP比が200%を超えたときも金利は3~5%ぐらいで、むしろ政府債務と金利は逆相関になってるじゃないか」といいたいのだろうが、残念ながら歴史は彼の主張を反証しているのだ。オブライエンは、政府債務の第1のピークだったナポレオン戦争後の状況をこう書いている:
では、なぜ19世紀になって金利は落ち着いたのだろうか。イギリス政府が大増税したからだ。図2のように税負担率もナポレオン戦争の期間に倍増し、特に富裕層に対する所得税が激増した。これはナポレオン戦争が「財産を防衛するための戦争」だったからだ。国債市場が崩壊寸前だったので、当時の蔵相ピットは議会の反対を押し切って所得税を増税した。
図2 イギリスの税負担のGDP比(%)出所:オブライエン
それでも政府債務は増え続けたが、1843年にようやくピークアウトした。その原因はイギリスがナポレオン戦争に勝ち、ヨーロッパ最大の強国として世界に植民地支配を拡大したからだ。イギリスが帝国主義戦争で勝ち残った最大の原因は、この租税ベースの拡大による軍事費の調達だった。クルーグマンは、オバマ政権も植民地戦争をやれとでもいうのだろうか。
なお第2次大戦直後にイギリスが国債を減額できたのは、前にも書いたように金利の規制と人為的インフレでマイナス金利にする金融抑圧のおかげだ。国債の金利を規制したのだから、低いのは当たり前である。
借り換え制度の存在によって、税金が目に見えて、しかも突然上昇する必要はあまりなかったが、イギリスの経済と社会に損害を与えた税金の実質的な負担は10年ごとに山のように膨れ上がった。その負担は、アンシャン・レジーム期のフランス国民が耐えられなかった負担と比べても、実質的にも相対的にも、はるかに高かったのである。(p.170)ナポレオン戦争の行なわれた1793年から1815年にかけてイギリスの軍事費は倍増し、政府予算の61%を占めた。これにともなって国債の発行も1798年までに倍増し、国債は暴落し、利払い費が政府予算の30%を占めた。
では、なぜ19世紀になって金利は落ち着いたのだろうか。イギリス政府が大増税したからだ。図2のように税負担率もナポレオン戦争の期間に倍増し、特に富裕層に対する所得税が激増した。これはナポレオン戦争が「財産を防衛するための戦争」だったからだ。国債市場が崩壊寸前だったので、当時の蔵相ピットは議会の反対を押し切って所得税を増税した。
図2 イギリスの税負担のGDP比(%)出所:オブライエン
それでも政府債務は増え続けたが、1843年にようやくピークアウトした。その原因はイギリスがナポレオン戦争に勝ち、ヨーロッパ最大の強国として世界に植民地支配を拡大したからだ。イギリスが帝国主義戦争で勝ち残った最大の原因は、この租税ベースの拡大による軍事費の調達だった。クルーグマンは、オバマ政権も植民地戦争をやれとでもいうのだろうか。
なお第2次大戦直後にイギリスが国債を減額できたのは、前にも書いたように金利の規制と人為的インフレでマイナス金利にする金融抑圧のおかげだ。国債の金利を規制したのだから、低いのは当たり前である。