きのうの「言論アリーナ」で話題になったのは、厚労省や朝日新聞の時代錯誤な温情主義は、政治的なレトリックなのか本気なのか、ということだった。厚労省が本音をいうことはないが、hamachanはその本音を知る上で貴重なサンプルだ。彼は松井さんの記事の重箱の隅はつつくが、「5年で正社員にしろという規制をしたら5年で雇い止めされる」という論旨には何もコメントしない。
これは城さんによると「本人は労働契約法の改正はまずかったと思っているが、組織としては誤りを認めるわけに行かないので、本筋と関係ない法律論でイヤミを言っている」のだそうだ。しかし私の同期で旧労働省に入った友人は、「小泉政権で雇用調整助成金を切ったのは忸怩たるものがある。労働者を守るというわれわれの任務を果たせなかった」と言っていた。

たぶん、これは世代の違いだろう。私の世代では、労働省というのは滑り止めの三流官庁で、彼も通産省を落ちて労働省に入った。80年代までの労働省は「働き過ぎをやめましょう」というぐらいしか仕事がなかった。それが90年代以降の不況の中で、雇用規制を緩和しようとする自民党と反対する労組の間で、よくも悪くも大きな役割を果たすようになった。

かつての社会党のような左翼のコアがなくなり、厚労省が労組の代弁者にならざるをえなくなったのだ。私の同級生も連合総研に出向したりしているうちに、ある種のregulatory captureに陥ったのかもしれない。それに対して、2000代以降に入省した官僚は、非正社員の問題が深刻化しているときに正社員の雇用を守るアナクロニズムにはついていけない。

しかし官僚機構は厳格な年功序列なので、まだ私の世代に近い(マルクス主義の影響を受けた)温情主義の幹部が意思決定をしているために、今度の雇用特区にも反対するのだろう。hamachanはその中間の世代で、現実は知っているがそれを認めたくないので、くだらない法律トリビアばかりやっている。

マスコミも同じで、朝日新聞の経済部の記者にきいたら「朝日には労働記者グループというのがあってね…」とぼやいていた。竹信三恵子記者(定年退職)のように、「かわいそうな労働者は役所が規制で守ってあげなければ」という心情倫理で記事を書く。その逆の財界的な立場に立つと、社会部には労働問題の記事なんか書けなくなるからだ。

この場合も、竹信記者の世代は善意で思い込んでいるが、解雇特区キャンペーンを張った山本知弘記者の世代は、自分たちの職域を守るために騒ぎを起こしているのだろう。これは一種のカルトなので、論理的な説得は不可能だ。いろいろな人が説得を試みて挫折した頭のおかしい弁護士と同じで、ブロックするしかない。

しかし城さんによると、連合でも「これ以上、会社におんぶにだっこしたら、会社と心中だ」という危機意識が強いという。特に定年を65歳に延長して、新卒に回す賃金原資が減っているのに、「5年で正社員」とか「派遣は3年でクビ」とか、ますます企業に負担をかける規制は、結局は雇用を減らすだけだ――と連合の幹部が言っているという。

その点で笑えるのが、「賃上げなしは恥ずかしいという環境つくる」という甘利経済再生担当相をはじめとする安倍内閣だ。結果を変えて原因を変えようとする錯覚はリフレと同じだが、賃上げ要請は法の支配も無視した「空気」の社会主義だ。彼の世代は、錯覚だといってもわからないだろう。

拙著でも書いたように、「デフレ」の原因は賃下げであり、その原因はグローバル化の競争圧力を非正社員にしわ寄せして正社員の雇用を守る日本的雇用慣行だから、日本経済のボトルネックになっているのは雇用問題なのだ。

これは小幡さんも含めて経済学者のコンセンサスだが、官僚や社会部記者にはどうしてもわからないらしい。自民党は、雇用問題にはほとんど関心がない。票にも金にもならないからだ。今度の雇用改革もゼロ回答になり、日本の停滞はこれからも続くだろう。