内田樹氏の文章には特徴がある。「グローバリズム」やら「国民国家」とやらについて衒学的に語ることと、初歩的な誤りがたくさんあることだ。きょうのブログで彼はこう書く。
グローバル化に即応した「歴史の書き換え」が進行している。 「慰安婦問題」や「南京事件」について日本を免罪しようとする「自虐史観論者」たちの語る歴史がそれである。 彼らが「慰安婦制度に軍部は関与していない」とか「南京事件などというものは存在しなかった」ということをかまびすしく言い立てるのは、その主張が国際的に認知される見通しがあるからではない。全く逆である。日本以外のどこでも「そんな話」は誰も相手にしないということを証明するために語り続けているのである。
この短い文章に、大きな間違いが三つもある。第一に自虐史観とは「自国の歴史の負の部分をことさら強調する歴史観」を保守派の人々が批判するときに使う言葉であり、内田氏はその意味を真逆に取り違えている。

第二に「慰安婦制度に軍部は関与していない」などと主張する人は、どこにもいない。政府見解でも、軍が慰安所の設置などに関与したことは認めている。たぶん内田氏は、関与と強制連行の区別もつかないのだろう。

第三に「南京事件は存在しなかった」と主張している人もいない。南京で軍民の殺害事件があったことは歴史的事実である。問題はその規模を中国が「30万人」というのは、当時の南京市の人口が25万人だったことから考えてもありえない、という人々がいるだけだ。

内田氏のようなバカげた話は、「日本以外のどこでも誰も相手にしない」だろう。ついでにいえば、グローバル化とは、彼の信じているような「世界的無政府状態」が出現することではない。企業には国家による財産権などの保護が必要だから「国民国家」がなくなることもない。グローバル企業は、もっとも低い税率で効率的に行政サービスを提供する国家に移動するだけだ。

このような租税競争が、国家間競争や都市間競争をもたらしている。もちろん納税者を食い物にしてのんびり暮らしたい大阪の元市長のような人々は、こういう競争には反対だろう。彼らは納税者に拒絶されて落選し、世間から忘れられる。内田氏も彼と同じ道を歩もうとしているようだ。