民主党政権で決まった「核燃料の全量再処理の見直し」を経産省が撤回する方針らしい。これを原子力委員長代理の鈴木達治郎氏が批判している。
他の選択肢を持てない硬直性が問題。原子力委はサイクル政策、処分計画を見直し、直接処分を可能とするよう早急に取り組むべきと提案しています。消極的な継続から脱却すべき時。全量再処理を一転継続 経産省  :日本経済新聞
この問題は原子力村の中でも意見がわかれているが、私は鈴木氏に賛成だ。もう核燃料サイクルの経済性が失われたからである。非在来型ウランの埋蔵量は、保守的な推定でも350~700年。海水ウランや海底の岩盤に付着しているウランを採取すれば、9000年分の消費がまかなえる。そのコストも在来型ウランの2倍程度まで下がり、まだ技術革新が見込める。この分野では、日本が世界のリーダーである。

これに対しては、山名元氏のような反論がある。彼も高速増殖炉の経済性があやしいことは認めているが、「六ヶ所再処理工場を破棄するというケースは、既に投資してきた再処理施設や長年かけて構築された地元の了解や協力を反故にすることの深刻さを考えると、極めて深刻であり、非現実的である」という。

これは経済学の例題としてよく知られるサンクコストの錯覚である。過去にいくら投資しても、それが回収不能なサンクコストであれば考えてはいけないのだ。大事なのは今後のキャッシュフローだけで、原子力委員会の試算によれば、2030年に原発比率を15%にした場合、全量再処理だと14.4兆円かかるのに対して、全量直接処分だと10.9~11.6兆円ですむ。これは高速増殖炉が予定通り実用化するとしての計算であり、現在の「もんじゅ」の状況を見ると、この前提は疑わしい。

電力業界の人も、再処理が経済的に成り立たないことは理解している。全量最終処分の問題は、学術会議の報告も指摘する最終処分地の選定が困難だということだが、これは六ヶ所村を最終処分地にすれば収容能力は十分だ。立地の最大の障害になる「核への恐怖」は解決しており、地元でも話し合いが行なわれている。再処理工場がなくなると、六ヶ所村も困るのだ。

したがって再処理工場を撤収するのと同時に六ヶ所村を最終処分地にすれば、コストも大幅に軽減され、山名氏の懸念する地元との信頼関係も保てる。この案には青森県の三村知事が反対しているが、法的根拠があるわけではなく、彼を説得すればすぐ実行できる。立地の問題を避けて一般論でいくら論じても、解決策は見つからない。

最大の障害は、これまで核燃料サイクルを推進してきた経産省や電力業界の面子がつぶれることだが、バックエンドのコストを負担するのは電力会社である。面子にこだわって高コストの再処理を続けることは、彼らの経営にとっても得策ではない。エネルギー政策は経済問題なのだから、推進派のみなさんもドライに経済性で割り切って「出口戦略」を考えてはどうだろうか。