バブルが続いているときは、誰もそれをバブルとは思わない。日本でバブルという言葉が使われるようになったのは、1990年に株価が下がり始めてからだ。地価が下がり始めたのは1991年からで、バブルの象徴として有名なジュリアナ東京が開業したのは、1991年5月である。

ジュリアナ東京
私が最初に地価上昇の番組をつくったのは1985年で、「神田の古本屋街に地上げ屋という恐いおじさんが出入りしている」という話題ものだった。そのころはまだ珍しい存在だった地上げ屋が、80年代後半には猛威をふるい始めた。
中でも有名なのは西新宿6丁目で、あたり一帯を最上恒産という地上げ屋が買い占めたが破産し、焼け跡のような状態になってしまった。社長の早坂太吉は、エセ同和の尾崎清光を病院で殺した容疑者で、それを売り物にしていた。
このころマスコミが土地問題を取材するときは、必ず「悪い地上げ屋に追い立てられるかわいそうな人々」という図式だったが、実際にはその逆だった。多くの場合、底地は最終的にはゼネコンなどが買うのだが、その上に建っている家の店子が立ち退かないのだ。
借地借家法では店子の権利が異常に強いため、裁判で立ち退かせようとしても勝てないので、地上げ屋が生ゴミを家の前に捨てたり街宣車で1日中わめくなど、暴力以外のあらゆる手段で追い立てる。結果的には、店子が地価の7割ぐらい取ることも珍しくなかった。
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ジュリアナ東京
私が最初に地価上昇の番組をつくったのは1985年で、「神田の古本屋街に地上げ屋という恐いおじさんが出入りしている」という話題ものだった。そのころはまだ珍しい存在だった地上げ屋が、80年代後半には猛威をふるい始めた。
中でも有名なのは西新宿6丁目で、あたり一帯を最上恒産という地上げ屋が買い占めたが破産し、焼け跡のような状態になってしまった。社長の早坂太吉は、エセ同和の尾崎清光を病院で殺した容疑者で、それを売り物にしていた。
このころマスコミが土地問題を取材するときは、必ず「悪い地上げ屋に追い立てられるかわいそうな人々」という図式だったが、実際にはその逆だった。多くの場合、底地は最終的にはゼネコンなどが買うのだが、その上に建っている家の店子が立ち退かないのだ。
借地借家法では店子の権利が異常に強いため、裁判で立ち退かせようとしても勝てないので、地上げ屋が生ゴミを家の前に捨てたり街宣車で1日中わめくなど、暴力以外のあらゆる手段で追い立てる。結果的には、店子が地価の7割ぐらい取ることも珍しくなかった。
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