206550_3474639884012_1799988860_n明けましておめでとうございます。正月らしく、大きなことを考えてみよう。

現代ビジネスで村山斉氏が「宇宙になぜ我々が存在するのか」を論じているが、これは科学的には決着のついていない問題である。おそらく永遠につかないだろう。これは人間原理という神学的な問題で、実験によって証明できないからだ。最近ではホーキングがこれを宇宙全体にわたる経路積分という考え方で説明しようとしているが、これも実験できない。
しかし「宇宙全体に通用する一つの法則が存在する」という仮説が近代科学の圧倒的な成功の原因になった。こんな荒唐無稽な仮説を思いつき、それを実験で証明しようと最初に試みたのはガリレオではなく、中世の神学者である。最近の研究によれば、重力の加速度を発見したのは、ドゥンス・スコトゥスの弟子だった。

スコトゥスは、聖霊のはたらきを数量であらわせると考えた。全能の神は宇宙の隅々まで「まめに」仕事をしているので、その量的な規則性を証明すれば神の実在が証明できると考えたのだ。たとえばすべての物体が落ちる速度が厳密に同じであることがわかれば、神の普遍性が証明される――このように考えて実験したオクスフォード大学のスコトゥスの弟子は、遅くとも1335年には重力の加速度を発見した。ガリレオより300年近く早い。

しかしこうした普遍性が神学者の中で論じられている限り、社会に影響を及ぼさない。オッカムはこの普遍性を脱意味化し、感覚的な経験だけが実在で普遍的な存在はそれをコントロールする「法則」だと理解した。そこにガリレオの実験が加わり、理神論者だったニュートンがその法則を数学的に記述したとき、近代科学は基本的に完成した。

物理学は宇宙には普遍的な法則が存在するという仮説にもとづいているが、ヒュームが指摘したように、今日まで太陽が昇ったことは、明日も昇ることをいささかも保証しない。万有引力の法則は「宇宙は神の普遍的な摂理にもとづいて運行しているので普遍的だ」というトートロジーで、キリスト教に固有の信仰である。

これは現代の物理学者も確認している。物理法則が普遍的なのは宇宙が均質にできているからだが、その必然性は証明できない。それを証明する試みは、ホーキングも指摘するようにすべて挫折した。ニュートンの信仰が正しかったのは偶然だが、宇宙が均質でなければ安定した物質として存在しえないので、人間にとっては必然だ。

他方、メカニカルな技術は古代からあり、産業革命初期の紡績機は科学と無関係だった。しかし蒸気機関は物理学の応用であり、大気圧が一定だと仮定して設計された。このように単なる仮説にすぎない神=自然の普遍性が技術の実用性によって証明されたことが、西欧近代の成功の一つの原因だった。

だから宇宙が存在する必然的な根拠はなく、もちろん人類が存在する根拠もない。われわれはおそらく最初で最後に生まれた均質の宇宙で、およそ信じられないような偶然が重なった結果生まれた、幸運な生物なのだ。そう考えれば、ちょっとした不運な出来事も、笑って忘れることができるだろう。