マニアックな話が続いて恐縮だが、きのうの記事について與那覇さんからコメントがあったので、ちょっと補足。
山本七平は丸山眞男とほぼ同じ江戸時代の思想史を扱い、その内容もよく似ているが、ほとんど丸山を参照していない。私の知るかぎり唯一の例外は『現人神の創作者たち』の中で、丸山の「闇斎学と闇斎学派」を(否定的に)参照している部分である(上巻p.168)。しかし全体の論旨から考えると、山本は丸山からかなり影響を受けていると思われる。
『現人神』は、山本がみずから主著と呼び、「私はこれを書くために20年間、沈黙していた」と述べた力作だが、今ではほとんど忘れられた本である。そこで彼が追究したのは、日本軍の狂気をもたらした「現人神」信仰はどこから来たのかという問題だった。
一見すると、この答は簡単である。天皇を神として奉る思想は幕末の尊王攘夷派の創作したもので、その元祖は吉田松陰だろう。ところが『現人神』には、松陰はまったく出てこない。代わりに「創作者」と名指しされるのは、浅見絅斎というマイナーな儒学者の『靖献遺言』という本である。これは明治政府によって「抹殺」されたが、勤王の志士の必読書だったという。
絅斎は山崎闇斎の弟子であり、丸山の「闇斎学」論文の主要な登場人物である。ここで丸山が論じたのは、日本の思想史における正統性の問題である。丸山は正統性を「O正統」(orthodoxy)と「L正統」(legitimacy)にわけるのだが、山本はむしろ両者が混同されているところに朱子学の特徴があるという。
朱子学を輸入して「日本化」した闇斎学派では、学派の正統な後継者をめぐる派閥抗争が続き、絅斎や佐藤直方など主要な弟子はすべて破門され、闇斎学派は解体してしまう。その中で、みずからの立場と重ね合わせて彼らが論じたのは「徳川幕府に正統性はあるのか」という問題だった。
本来の朱子学では、中国の皇帝以外はすべて夷狄なので日本の国家に正統性はないが、闇斎は日本でも正統的な国家権力はあるとした。むしろ朱子学のように権力を簒奪した王朝に正統性がないというのは矛盾している。秦以外のすべての王朝は先王の権力を簒奪して樹立されたのだから、正統性はない。
この論理を敷衍すると、日本でも天皇の権力を簒奪して成立した武家政権には正統性がない、という結論が出てくる。闇斎はその含意を明言しなかったが、絅斎はそれを『靖献遺言』で詳細に展開した。それは国学に継承されて平田篤胤の国粋主義になり、水戸学に継承されて「徳川幕府は非合法である」という南朝史観が生まれた。これらが政治思想に転化したのが尊王攘夷だった。
この意味で明治維新は、ローカルな共同体を超える普遍的な理念が多くの人々を動かし、政権を転覆した日本の歴史上唯一の事件だった。それを可能にしたのは朱子学という輸入思想ではなく、闇斎の創作した垂加神道に象徴される土着信仰だった。丸山的にいえば、日本人の「古層」に眠っていた共同体意識が、黒船という危機に直面してナショナリズムとして目覚めたのだ。
「日本」という想像の共同体が形成されると、その求心力は法律を超え、対外的な拡張主義に転じる。明治政府はその求心力を国家建設に利用したが、彼らを「君側の奸」とみなす皇道派がさらに先鋭化して超国家主義となり、その暴走は止まらなくなった。このとき青年将校を煽動した北一輝が利用したのも、天皇の正統性だった。
そして山本も丸山も共通に指摘するのが、70年代にまだ強かった極左との共通点だ。闇斎学派の内部抗争より陰惨な内ゲバが繰り返され、左翼は自壊していった。その系譜は今の反原発派まで続くが、幸い彼らには薩長のような武力も実務能力もないので、権力をとる可能性はない。しかしこうした原理主義の噴出が「空気」の支配に対抗する唯一のガス抜きだとすれば、日本人は永遠に成熟できないのだろうか。
『現人神』は、山本がみずから主著と呼び、「私はこれを書くために20年間、沈黙していた」と述べた力作だが、今ではほとんど忘れられた本である。そこで彼が追究したのは、日本軍の狂気をもたらした「現人神」信仰はどこから来たのかという問題だった。
一見すると、この答は簡単である。天皇を神として奉る思想は幕末の尊王攘夷派の創作したもので、その元祖は吉田松陰だろう。ところが『現人神』には、松陰はまったく出てこない。代わりに「創作者」と名指しされるのは、浅見絅斎というマイナーな儒学者の『靖献遺言』という本である。これは明治政府によって「抹殺」されたが、勤王の志士の必読書だったという。
絅斎は山崎闇斎の弟子であり、丸山の「闇斎学」論文の主要な登場人物である。ここで丸山が論じたのは、日本の思想史における正統性の問題である。丸山は正統性を「O正統」(orthodoxy)と「L正統」(legitimacy)にわけるのだが、山本はむしろ両者が混同されているところに朱子学の特徴があるという。
朱子学を輸入して「日本化」した闇斎学派では、学派の正統な後継者をめぐる派閥抗争が続き、絅斎や佐藤直方など主要な弟子はすべて破門され、闇斎学派は解体してしまう。その中で、みずからの立場と重ね合わせて彼らが論じたのは「徳川幕府に正統性はあるのか」という問題だった。
本来の朱子学では、中国の皇帝以外はすべて夷狄なので日本の国家に正統性はないが、闇斎は日本でも正統的な国家権力はあるとした。むしろ朱子学のように権力を簒奪した王朝に正統性がないというのは矛盾している。秦以外のすべての王朝は先王の権力を簒奪して樹立されたのだから、正統性はない。
この論理を敷衍すると、日本でも天皇の権力を簒奪して成立した武家政権には正統性がない、という結論が出てくる。闇斎はその含意を明言しなかったが、絅斎はそれを『靖献遺言』で詳細に展開した。それは国学に継承されて平田篤胤の国粋主義になり、水戸学に継承されて「徳川幕府は非合法である」という南朝史観が生まれた。これらが政治思想に転化したのが尊王攘夷だった。
この意味で明治維新は、ローカルな共同体を超える普遍的な理念が多くの人々を動かし、政権を転覆した日本の歴史上唯一の事件だった。それを可能にしたのは朱子学という輸入思想ではなく、闇斎の創作した垂加神道に象徴される土着信仰だった。丸山的にいえば、日本人の「古層」に眠っていた共同体意識が、黒船という危機に直面してナショナリズムとして目覚めたのだ。
「日本」という想像の共同体が形成されると、その求心力は法律を超え、対外的な拡張主義に転じる。明治政府はその求心力を国家建設に利用したが、彼らを「君側の奸」とみなす皇道派がさらに先鋭化して超国家主義となり、その暴走は止まらなくなった。このとき青年将校を煽動した北一輝が利用したのも、天皇の正統性だった。
そして山本も丸山も共通に指摘するのが、70年代にまだ強かった極左との共通点だ。闇斎学派の内部抗争より陰惨な内ゲバが繰り返され、左翼は自壊していった。その系譜は今の反原発派まで続くが、幸い彼らには薩長のような武力も実務能力もないので、権力をとる可能性はない。しかしこうした原理主義の噴出が「空気」の支配に対抗する唯一のガス抜きだとすれば、日本人は永遠に成熟できないのだろうか。