放射能恐怖症の原因になっているのが「どんな低線量でも危険だ」というLNT仮説である。その論拠として反原発派が持ち出すのがBEIR VIIの報告書だが、これには専門家の批判が強い。そこで引用されている論文には、LNT仮説を否定するデータがたくさん出ているからだ。その矛盾を指摘した論文を紹介しておこう(非常にテクニカル)。

1972年に出たBEIR第1次報告書の引用する論文には、次のようなデータが出ている。これは長崎の被爆者の白血病発症率で、cGyはほぼ10mSvに相当する。図のように310mSvまでは白血病の発症率は下がっている


1960年代初期までは、遺伝的結果がもっとも重大な放射線の影響だと考えられていたが、次のように卵巣の被曝線量でも100mSvまでは先天性異常の発生率は下がっており、通常より高くなるのは1Sv以上である。


X線治療を繰り返し受けた場合も、合計100mSvまでは死亡率は下がっている。500mSvを超えると通常より発癌率が増えているが、これによる治療の効果のほうが大きければ問題ない。


核施設の作業員の発癌率も、原爆の実験に立ち会った軍人も含めて、すべて下がっている。


これ以外にも原論文には30枚の図があげられているが、すべて低線量被曝では発癌率が下がることを示している。こうしたデータがすべてBEIRの引用する論文に出ている(がBEIRが無視した)ことは重大な問題である。多くの論文でLNT仮説が反証されているのにBEIRがそれに固執する理由は、
人間の放射線被曝に関しては、いかなる安全な水準も閾値もないとする立場は、NRC(原子力規制委員会)とERA(環境保護局)によって採択されている。それ故、人間にとって安全な自然環境レベルよりも高い環境放射線レベルを設定し、維持することができるような規制は到底期待できない。(BEIR II p.90)
という官僚の論理である。「無謬性」にこだわるのは霞ヶ関だけではないようだ。さらに本質的な問題は、Tubianaなどが批判するように、BEIRが瞬時(acute)被曝と持続的(protracted)被曝を区別せず、原爆の被爆者データを通常の放射線管理に適用していることだ。100mSvを一挙に浴びるのと1年かけて浴びるのは、人体への影響はまったく異なる。両者を混同することが、過剰防護の原因になっている。

こうした専門家の批判に答えて、最近はICRPも緊急被曝状況では年間20~100mSvまで認めるなど、実質的に基準を緩和している。これを「緊急時に人体の耐性が変わるわけではないのだから、緩和するのは人命軽視だ」などというのは、リスクの概念を知らない人である。低線量被曝のリスクはきわめて小さいので、絶対的基準はない。それを最適化するレベルは、防護費用と便益のトレードオフで決まるのだ。

「リスクのわからないときは安全側に倒して禁止する」という予防原則なるものも、日本政府は認めていない。平時には1mSvを守るのに大したコストはかからないが、放射性物質が大量に大気中に出た状況で、それを事後的に1mSv以下にすることは何兆円ものコストがかかり、それによって健康被害を減らす効果は期待できない。年間1mSvを基準にして行なわれている避難や除染は被災者に不要なストレスをもたらし、莫大な税金を浪費するだけだ。