文明と戦争 (上)韓国の主張する「歴史問題」のほとんどはでっち上げだが、アメリカ議会やEU議会まで慰安婦決議をしている。このように国際的な情報戦で日本が韓国に負け続けてきた一つの原因は、その平和主義にある。日本人は平和を最優先するのが当たり前だと思っているかもしれないが、英語でpacifismというのは、自国が侵略されても抵抗しない敗北主義のことである。

人間はもともと平和に暮らしていたが、文明によって戦争を起こすようになり、科学が発達して大量殺戮が行なわれるようになった。原子力は人間がテクノロジーを制御できなくなった時代の象徴だ――という通俗的な話は当節流行の原発文明論でよく語られるが、それは逆である。

旧石器時代の人類は平均15%ぐらい殺されていたが、その原因は人間が類人猿より凶暴だったためではなく、道具を使うようになったためだ。石器によって相手を一撃で殺せるようになると、戦争は先手必勝になるので、先に殺さなければ殺されるという安全保障のジレンマが起こる。これはゲーム理論でいう囚人のジレンマで、これを解決するために国家が生まれた、というのが本書の中心テーマである。

そういうホッブズ的な「自然状態」で何が起こるかは、『リヴァイアサン』に描かれている。相手より少しでも強力に武装しようとする軍拡競争である。国家が生まれたのは武力には規模の経済性があるためで、それによって戦争の回数は減ったが規模は大きくなった。専門の軍隊や大量の武器が必要になり、兵站を維持する経済力が国家の興亡を決めるようになった。

1回かぎりの囚人のジレンマでは、ナッシュ均衡は裏切り(戦争)しかないが、ゲームが繰り返されるときは確実に復讐することが協力(平和)を維持する必要条件である。このためには国家秩序を固定することが重要で、中国では専制国家、西洋では主権国家という形で権力を固定した。地方豪族の戦争を止めるために、彼らの既得権を守る法秩序やデモクラシーが生まれた。核兵器の「相互確証破壊」は究極の戦争抑止策である。

これに対して徳川幕府は、バラバラの地方国家の戦争を「凍結」し、対外的な交流を遮断する「内向きの平和」を実現した。これは世界にもまれなイノベーションだったが、コストが安い代わりに汎用性が低い。日本人どうしなら「話せばわかる」という平和主義が通じるが、安全のジレンマが遍在する世界では、一方的に裏切られる最悪の結果になる。

世界のテロの半分が起こるイスラエルのテルアビブ大学で教える著者にとっては、安全のジレンマは日常的な実感だろうが、平和ボケの日本人がそれを理解することはむずかしい。しかし東アジアの地政学的な均衡が崩れ始めた今、本書は社会科学の研究者のみならず、政治家や官僚にとっても必読書である。