今までにも何度か書いた話だが、ツイッターで茂木健一郎氏や橋下徹氏や松井孝治氏や境真良氏からコメントをいただいたので、霞ヶ関のアーキテクチャの欠陥を今週のメルマガで理論的に考えてみた(テクニカル)。
多頭一身の怪物

日本の法律のアーキテクチャは極端に相互依存的(補完的)にできていて、1本を改正しようとすると何本も改正が必要になり、関連するすべての官庁が合意しないと改正できない上に、それを総合調整する中枢機能がない。丸山眞男によれば、この縦割り構造は明治維新のとき「一君万民」で権力を天皇に集中することに失敗したためだそうです。

徳川家康は「天下は天下の天下なり」という遺訓を残しました。これは天下を徳川家のものと考えないで公に管理せよというデモクラシー的な発想ですが、これでは統一国家はできないので、「天下は一人の天下なり」とすることによって国力を高めようというのが吉田松陰などの尊皇思想でした。この意味で、明治維新は「儒教革命」ともいうべきものです。

しかし結果的には、中江兆民が「多頭一身の怪物」と呼んだ責任の所在が不明な政権ができてしまいました。これは明治政府が薩長などの連立政権で、各藩の寄せ集めだったためでしょう。この官僚機構は決まった法律を執行するだけなら大した問題はないが、日本では議会に立法権がなく内閣の機能が弱かったため、独立の官庁が補完的な法律をつくる結果になりました。

補完的な法律をバラバラの官庁がつくる

このアーキテクチャは戦後も受け継がれましたが、非常にまずい構造です。拙著の補論Aでも紹介したように、Hart-Mooreの所有権理論によれば、補完的な資産の所有権は統合することが効率的です(命題3)。たとえば自動車のエンジンと車体のような補完的な部品を独立のメーカーがつくると、車体メーカーが「価格を引き上げないと納入しない」と拒否権を発動するホールドアップ問題が起こります。

逆に資産が独立の場合は、独立の企業が生産することが効率的です(命題5)。部品がモジュール化されて市場で調達できるようになると、日本の大企業や系列メーカーで「すり合わせ」する必要はなく、世界から最適調達すればよいので、インテルやマイクロソフトのように特定の部品に特化した専業メーカーが有利になります。

この理論で考えると、霞ヶ関では一つの自動車の部品を独立のメーカーがバラバラに生産しているようなものです。しかも全体の設計図がないので、一つの部品を変更すると膨大な変更が必要になる。

たとえば個人情報保護法には1800本も関連する法律や政省令があるので、過剰コンプライアンスで企業が困っていても、1本の法律を改正するのに何十本も関連法の改正が必要になり、それぞれの法律に天下り先がぶら下がっているので、1本でも改正を拒否されたら何もできない。この解決法は、原理的には二つしかありません。
  • 英米法型:独立の議員がバラバラに立法し、モジュール化された法律が矛盾する場合は裁判所でどれを適用するか決める
  • 大陸法型:統治機構を垂直統合し、補完的な法律を絶対君主の支配する中央集権的な官僚機構がつくる
日本の官僚制度はプロイセンをまねたので、本来なら天皇が絶対君主として最終的な意思決定を行なう大陸法型ですが、天皇には実質的な決定権がないため、各官庁がバラバラに意思決定を行なって「元老」が調整する方式が定着しました。

戦後も自民党の「大物」がこういう調整を行なってきました。補完的な資産を独立の組織が所有する構造は共同所有権と同じなので、長期的関係が続くという予想が支配的な場合にはホールドアップを防止できます。しかし90年代以降、長期的なレントを分け合う構造が崩れると、ホールドアップが日常的に起こるようになり、意思決定が麻痺してしまったのです。