
前半の人口増と急成長の原因は、市場経済化だった。この最大の原因は、15世紀後半から続いた戦乱が収まり、平和が実現したことだ。この時代に勤勉革命のエートスが形成され、労働集約的な技術で農業生産性も上がった。この時期に、4~5人の家族による小農経営が定着し、「家」が農村の単位になった。
これに対して、後半ピタっと人口増も成長も止まった一つの原因は、間引きだったと推定される。人口爆発によって農地が不足したため、堕胎や「子返し」と呼ばれる嬰児殺しが、なかば公然と行なわれた。「姥捨て」は深沢七郎の小説の世界で、口減らしのために現実に行なわれたのは子殺しだったのだ。
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