国会の事故調査委員会の報告書について、黒川委員長が外国特派員協会で会見した中で、日本語版と英語版の違いが問題になった。委員長の序文には、こう書かれている:
What must be admitted - very painfully - is that this was a disaster “Made in Japan.” Its fundamental causes are to be found in the ingrained conventions of Japanese culture: our reflexive obedience; our reluctance to question authority; our devotion to ‘sticking with the program’; our groupism; and our insularity.
ところが日本語版には「メイド・イン・ジャパン」という言葉は見当たらず、該当する部分はこう書かれている:
想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済成長を遂げたころにまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜(Regulatory Capture)』が生まれた。

そこには、ほぼ50 年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の「思いこみ(マインドセット)」があった。経済成長に伴い、「自信」は次第に「おごり、慢心」に変わり始めた。
規制の虜というのは経済学の用語だが、もとが英語であることでもわかるように「メイド・イン・ジャパン」の現象ではない。完全版の本文を検索してみると、「虜」という言葉が出てくるのは、5.2.「東電・電事連の虜となった規制当局」の部分だが、このような事業者のロビイングが「メイド・イン・ジャパン」であるという根拠はどこにも示されていない。むしろアメリカのNRCに対して訴訟を乱発する電力会社のロビイングのほうがはるかに激しい。

結果論としていえば、東電が津波対策を怠ったこと、全電源喪失を想定しなかったことが重過失だったことは明らかであり、政府がその「虜」になったことも事実だろう。しかし、その原因が「日本人の特殊性」だとするなら、世界の他の原発は安全だということになる。今回の事故の教訓をこのような文化論に帰着させるのは見当違いである。これは世界共通の問題であり、報告書もいうように「最新の科学的知見を規制に反映させる」しかない。

むしろ問題は、この報告書で「虜」という言葉がもっとも出てくる5.2.3.「最新の知見等の取り扱いを巡る議論」である。ここでは保安院が、ICRP勧告を規制に取り入れることに対する電事連のロビー活動の虜になったとされ、報告書は次のように書く:
電気事業者は事故前より放射線防護を緩和させようとしていた。そのために、放射線の健康影響に関する研究については、より健康被害が少ないとする方向へ、国内外専門家の放射線防護に関する見解ついては、防護や管理が緩和される方向へ、それぞれ誘導しようとしてきた。
この記述を日本の放射線研究者が読んだら怒るだろう。私の知るかぎり、政府の「誘導」によって科学的に間違った見解を発表した研究者はいない。ICRP勧告が過剰規制になっているという科学者は、少なくとも放射線生物学界では世界の多数派である。それはGEPRに集めた各国の学術論文でも明らかだ。

ここでは現在の放射線基準が本来より緩いという前提が置かれているが、委員会はそれを科学的に検証していない。現実には、政府がICRP勧告を過剰に厳格に守って1mSv/年の地域まで退避勧告を出したため、事故から17ヶ月たっても15万人以上の被災者が帰宅できない。福島事故の最大の被害は、この過剰避難による2次災害なのだ。

原発事故では放射線の健康被害より2次災害のほうが大きいという問題点は、チェルノブイリ事故についての国連やロシア政府の報告書でも指摘されている。政府の報告書が現行の基準を批判できないのは仕方がないとしても、せっかく独立性を保証された国会の事故調が「放射能は無限に危険だ」という通念に寄りかかり、「原子力ムラ」などという通俗的な言葉で関係者を罵倒するのでは、ほとんどマスコミと同じレベルである。

このように環境や健康の問題になると、科学的に検討しないで「空気」に同調して過剰規制をあおる傾向こそ、山本七平が日本人の通弊として批判したものだ。この意味では、国会事故調の非科学的な報告書こそ「メイド・イン・ジャパン」である。