きのうの記事に少し補足しておくと、瞬間線量と年間線量の違いはテクニカルな問題にみえるかもしれないが、非常に重要である。特に両者の違いが1000倍以上になるとすると、今後の原子力政策を大きく変える可能性もあるからだ。

エネルギー政策を考えるとき、大事なのはタイムスケールをわけて考えることだ。まず短期では、原発を再稼働すべきであることは自明だ。定期検査に合格した発電所の運転を政府が法的根拠なく止めている現状が違法状態であり、事故後の緊急対策やストレステストも終わったのだから、「地元が何となく不安だ」という曖昧な理由で、政府が大停電のリスクを取ることは許されない。

次に中期では、日本で大型軽水炉の新設は不可能に近い。原子力の経済的な優位性が高いとすれば、これは困ったことだが、ヤーギンも指摘するように、「シェールガス革命」によって原子力の経済的優位性はなくなった、というのが大方の見方だろう。したがって寿命の来た原発が廃炉になることによって、徐々に「脱原発」が進むものと思われる。

問題は長期である。Economist誌が指摘するように、現在の安全規制を前提にして地球温暖化を無視すれば原子力の出番はないが、こうした社会的コストがエネルギーのポートフォリオにとっては重要になる。まず温暖化対策としては炭素税のような制度の導入が考えられ、これによって化石燃料の価格が何倍にもなると、原子力の優位性が出てくる。

安全性や環境負荷という点から考えると、OECDやIEAも指摘しているように、実はkWhあたりの社会的コストは原発が最小である。OECD諸国では原発による苛酷事故(5人以上の死亡事故)は1度も起きていないが、石炭や石油では採掘事故で毎年1万人以上が死亡し、大気汚染でそれを上回る死者が出ていると推定される。原発からの温室効果ガスの排出は事実上ゼロだ。

したがって社会的コストを内部化すると、化石燃料にかけた炭素税を原子力に補助金として配分することも考えられる。また日本にとっては、ホルムズ海峡が封鎖されると石油の8割が止まるという地政学的リスクも無視できない。技術的にも、向こう20年ぐらいを考えれば、第4世代原子炉が出てくるので、軽水炉以外の選択もあるだろう。

むしろ最大の問題は、原発が社会的に望ましいとしても、電力会社にとって魅力的ではないことだ。アメリカでは石炭の環境規制が弱く原発の規制が強いため、投資の回収に長期間かかる原発の建設はほとんどなくなった。日本でも電力を自由化して電力会社が資本コストに敏感になると、政治的にリスクの大きい原発を建設する電力会社はなくなるだろう。

したがって一般のイメージとは逆に、市場にまかせると長期的には「原発ゼロ」になるかもしれないが、安全性や環境負荷などの社会的コストを内部化すると(第4世代を含めた)原子力が一定のシェアを占めることが望ましい。特に放射線のリスクが1000倍以上に過大評価されているとすれば、それを是正して原子力の社会的コストを適切に評価することは、長期的なエネルギー政策にとって重要である。