いま話題の原発再稼働問題は、戦前の状況と似てきました。朝日新聞が「原発ゼロの夏を大和魂で乗り切れ」と、昔と同じく戦力を考えないで勇ましい主戦論を唱える。こういうとき恐いのは、ヒトラーのように強権的な指導者ではなく、朝日のような「空気」に流されやすい人物です。
凡庸で小心な調整型
東條は一般には強権的なファシストと考えられていますが、実際には小心で凡庸なサラリーマンでした。エリートの「切れ者」というイメージも間違いで、陸大の席次は60人中11位。陸軍幹部の条件である「恩賜の軍刀」組ではなかった。大きな転機になったのは、1935年の永田鉄山の暗殺でした。永田は陸軍の「統制派」の中心人物で、「皇道派」を中央から放逐する人事を行なったため、皇道派の青年将校に暗殺されました。
これによって皇道派を押える力が弱まったことが、翌年の二・二六事件につながり、そこから雪崩を打って日本は戦争に突入していきます。満州事変で活躍して陸軍のスターになった石原莞爾には敵が多いため失脚し、統制派は中心を失います。そんな中で「粛軍人事」で永田の後釜に座ったのが、彼を兄のように慕っていた東條でした。
凡庸で小心な調整型
東條は一般には強権的なファシストと考えられていますが、実際には小心で凡庸なサラリーマンでした。エリートの「切れ者」というイメージも間違いで、陸大の席次は60人中11位。陸軍幹部の条件である「恩賜の軍刀」組ではなかった。大きな転機になったのは、1935年の永田鉄山の暗殺でした。永田は陸軍の「統制派」の中心人物で、「皇道派」を中央から放逐する人事を行なったため、皇道派の青年将校に暗殺されました。
これによって皇道派を押える力が弱まったことが、翌年の二・二六事件につながり、そこから雪崩を打って日本は戦争に突入していきます。満州事変で活躍して陸軍のスターになった石原莞爾には敵が多いため失脚し、統制派は中心を失います。そんな中で「粛軍人事」で永田の後釜に座ったのが、彼を兄のように慕っていた東條でした。
東條には永田のような頭脳も石原のような戦略もないが、人事への執着が異常に強いことが特徴でした。彼は自分に近づいてくる人物を重用し、批判する人物は遠ざける露骨な派閥人事を行ない、激しく対立した石原も左遷しました。他方、身内の面倒見はよく、歴代の首相に仕えた公用車の運転手が「一番立派な首相は誰か」ときかれて「東條さんです」と答えたという逸話があります。「隅々まで部下思いの方です」と言ったそうです。
手続きへのこだわり
東條のもう一つの特徴は、手続き論への異常なこだわりでした。他人を論理で説得するのが苦手な分、形式的な法律論で相手をねじ伏せようとする。皇道派を追放した陸軍では「下克上」への警戒が強まり、上の命令を忠実に守って反抗しない東條のような軍人が模範とされたのです。
こうして人望も能力もない東條が「消去法」で、するすると陸相になります。彼は石原とは違って調整型で敵が少なく、まわりが警戒心を抱かなかったことも幸いしたのでしょう。また手続きを重視するため、既成事実をくつがえすことがない。対米交渉でアメリカが中国からの撤兵を要求したのに対して「ここで引き下がったら英霊に申し訳が立たない」と拒否したことは有名です。
こうしてだれもがおかしいと思いながら既成事実が積み重ねられ、「ここで撤退しよう」という指導者が(軍人・文民ともに)「空気」に排除され、最後に残ったのは、とにかく前例を踏襲するだけの無能な軍人でした。本来は危機に際して思い切った判断のできる指導者が必要だったのですが、日本が危機だという認識が共有されていないので、朝日新聞のようなイケイケの世論が高まり、誰も止められなくなる・・・
開戦前夜に号泣した首相
1941年、日米開戦に反対する近衛首相を東條は「そういうことは決まる前にいうことだ」と一喝し、近衛は辞任します。その後任については東久邇宮を推す声が強かったといわれますが、木戸幸一内大臣は東條を天皇に推挙し、承認を受けてしまう。これは陸軍を掌握している東條でないと強硬論を押えられないという発想だったといわれ、『昭和天皇独白録』にもそう書かれています。
しかし結果的には、この人事は大失敗でした。そもそも軍人を首相にするということは、文民統制のきびしい西洋はもちろん、中国でも武官は文官に従属する者と決められ、長い歴史の中でこのルールを破ったことはありません。それをいとも簡単に破った日本は、戦争がいかに大きな災厄をもたらすかということに無自覚だったのでしょう。特に主戦論に抵抗してきた天皇が東條首相を承認したことは、致命的な失敗でした。このときなら、拒否権は行使できたはずです。
東條は天皇に好まれ、彼も天皇を慕っていたため、「対米開戦を回避せよ」という天皇の命令を忠実に守ろうと努力したのですが、アメリカが強硬な対日要求を出してきたため、陸軍を押えることができず、ついに彼自身も勝算のないまま開戦に踏み切ってしまう。12月6日の夜、彼は首相公邸で号泣したといわれています。
「決めない指導者」が危ない
「軍が暴走して国民は被害者だった」などというのは嘘で、戦争をもっとも強く望んだのは国民でした。新聞がそれに迎合し、それにあおられて政治家が大政翼賛会に集合し、軍の前線は戦線を拡大する。むしろもっとも慎重だったのが、東條を含む軍の首脳部でした。しかし決定的な時期にこのような気の弱い人物が首相になり、まわりの「空気」に押されて取り返しのつかない決定をしてしまったことが日本の悲劇でした。
こういう大勢に迎合して流される日本人の弱さは、今も残っています。5月19日の朝日新聞の「大飯原発―再稼働はあきらめよ」という社説にはあきれました。
こういうときは、よほど強い信念がないと「空気」に抵抗できない。日本で危険なのはヒトラーのように強権的な人物ではなく、東條のように気配りが細やかでまわりに同調する事物が指導者になることなのです。まさか野田首相が東條のように流されるとは思えませんが・・・
手続きへのこだわり
東條のもう一つの特徴は、手続き論への異常なこだわりでした。他人を論理で説得するのが苦手な分、形式的な法律論で相手をねじ伏せようとする。皇道派を追放した陸軍では「下克上」への警戒が強まり、上の命令を忠実に守って反抗しない東條のような軍人が模範とされたのです。
こうして人望も能力もない東條が「消去法」で、するすると陸相になります。彼は石原とは違って調整型で敵が少なく、まわりが警戒心を抱かなかったことも幸いしたのでしょう。また手続きを重視するため、既成事実をくつがえすことがない。対米交渉でアメリカが中国からの撤兵を要求したのに対して「ここで引き下がったら英霊に申し訳が立たない」と拒否したことは有名です。
こうしてだれもがおかしいと思いながら既成事実が積み重ねられ、「ここで撤退しよう」という指導者が(軍人・文民ともに)「空気」に排除され、最後に残ったのは、とにかく前例を踏襲するだけの無能な軍人でした。本来は危機に際して思い切った判断のできる指導者が必要だったのですが、日本が危機だという認識が共有されていないので、朝日新聞のようなイケイケの世論が高まり、誰も止められなくなる・・・
開戦前夜に号泣した首相
1941年、日米開戦に反対する近衛首相を東條は「そういうことは決まる前にいうことだ」と一喝し、近衛は辞任します。その後任については東久邇宮を推す声が強かったといわれますが、木戸幸一内大臣は東條を天皇に推挙し、承認を受けてしまう。これは陸軍を掌握している東條でないと強硬論を押えられないという発想だったといわれ、『昭和天皇独白録』にもそう書かれています。
しかし結果的には、この人事は大失敗でした。そもそも軍人を首相にするということは、文民統制のきびしい西洋はもちろん、中国でも武官は文官に従属する者と決められ、長い歴史の中でこのルールを破ったことはありません。それをいとも簡単に破った日本は、戦争がいかに大きな災厄をもたらすかということに無自覚だったのでしょう。特に主戦論に抵抗してきた天皇が東條首相を承認したことは、致命的な失敗でした。このときなら、拒否権は行使できたはずです。
東條は天皇に好まれ、彼も天皇を慕っていたため、「対米開戦を回避せよ」という天皇の命令を忠実に守ろうと努力したのですが、アメリカが強硬な対日要求を出してきたため、陸軍を押えることができず、ついに彼自身も勝算のないまま開戦に踏み切ってしまう。12月6日の夜、彼は首相公邸で号泣したといわれています。
「決めない指導者」が危ない
「軍が暴走して国民は被害者だった」などというのは嘘で、戦争をもっとも強く望んだのは国民でした。新聞がそれに迎合し、それにあおられて政治家が大政翼賛会に集合し、軍の前線は戦線を拡大する。むしろもっとも慎重だったのが、東條を含む軍の首脳部でした。しかし決定的な時期にこのような気の弱い人物が首相になり、まわりの「空気」に押されて取り返しのつかない決定をしてしまったことが日本の悲劇でした。
こういう大勢に迎合して流される日本人の弱さは、今も残っています。5月19日の朝日新聞の「大飯原発―再稼働はあきらめよ」という社説にはあきれました。
多くの国民は、この夏は節電努力で乗り切りたいと考えている。再稼働に反対する各種の世論調査を見ても、その意志が表れている。民意を意識して、政府として「原発ゼロの夏」への備えを整えた、ということだ。であれば賢い節電の徹底と定着に全力を注ぐのが筋である。大和魂があれば電力不足は乗り切れる、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」というわけでしょう。論説主幹の大野博人氏は、去年「できるかできないか考えないで原発ゼロにしよう」と主張した人物。対米開戦を回避しようとする東條を「腰抜け」と批判した朝日の体質は、戦前とまったく変わらない。
こういうときは、よほど強い信念がないと「空気」に抵抗できない。日本で危険なのはヒトラーのように強権的な人物ではなく、東條のように気配りが細やかでまわりに同調する事物が指導者になることなのです。まさか野田首相が東條のように流されるとは思えませんが・・・