インターネットで、啓蒙専制君主という言葉が使われることがある。たとえばLinuxのコミュニティではLinus Torvaldsの意見が絶対なので彼は専制君主だが、他のメンバーは批判でき、いやなら脱退も自由だ。ローマ―の「チャーター・シティ」も議会を置かず、出入り自由にする。たぶん未来の政治は、こういう形になるだろう。この点で啓蒙専制君主のベータ版としての橋下徹氏には注目していたのだが、原発問題では馬脚をあらわした。

産経新聞によれば、きのう開かれた大阪府市統合本部のエネルギー戦略会議に橋下氏が出席し、「原発の全面廃止」などを求める関西電力への株主提案を了承した。その理由として、橋下氏は「事故を見て平気なのはロボットか感情の薄い人」だとか「原発事故を目の当たりにしたら、生身の人間の恐怖心や嫌悪感にふたをする方が苦しい」などと述べたという。彼はこんな感情論で定款を変更できると思っているのだろうか。

問題は、彼の感情に迎合する取り巻きだ。橋下氏が「原発以外にも安全性を考えなくてはならないことがある。食品や事故などのリスクヘッジは社会的リスクの範囲でやろうとしているが、原発にだけ絶対的安全性を求められるのか」と問いかけたのに対して、委員から「(原発事故は)不可逆的で壊滅的な被害をもたらす点で他とは違う」と反論が出たという。

この委員は「再稼働の8条件」を出した飯田哲也氏と古賀茂明氏だと思われるが、彼らは福島の被害が「不可逆的で壊滅的」だと思っているのか。橋下氏がテレビで繰り返し流される壊れた原発の映像に「恐怖心や嫌悪感」を抱くのはわかるが、それはメディアの作り出した幻想である。福島第一原発事故では1人も死者は出ていないし、政府が許可すれば帰宅しても健康に影響はない。原発事故の被害は、これまで思われていたほど不可逆でも壊滅的でもないことを福島は示したのだ。

日本の官僚機構は儒教的な徳治主義だから、民主党のように議論ばかりしている政治家にはコントロールできない。必要なのは民衆の支持をバックにして強い求心力をもつ啓蒙専制君主だが、その落とし穴は自分に快い意見をいうイエスマンだけを重用して「裸の王様」になってしまうことだ。このように君主に迎合してミスリードする臣下を君側の奸と呼ぶ。さいわい橋下氏には他人の意見を聞く柔軟性はあるので、怪しい取り巻きではなく専門家の意見を聞いてみてはどうだろうか。