文明と戦争 (上)
ホッブズは自然状態を「万人の万人に対する戦い」と考えたが、ルソーは原始時代には平等で平和に暮らしていた人間が私有財産や国家によって戦争を始めたと考えた。マルクスからレヴィ=ストロースに至る社会科学の主流はルソー的な人間観にもとづいているが、本書はこれを否定し、人類は200万年前から戦いを続けてきたという。

最近の考古学的なデータによると、世界のどこでも旧石器時代の死者の15%(男性の25%)前後が殺人によって死亡している。これは人類の顕著な特徴で、食糧や雌をめぐる争いはどの動物にもあるが、このように激しい戦いはみられない。しかし戦争を人間の「暴力本能」の結果と考えるのは妥当ではない。それは人間が道具を使うようになったことによる合理的行動である。

動物の武器は身体そのものなので、攻撃する側とされる側はほぼ対等だが、人間が石で相手をなぐる場合には、先制攻撃する側が優位に立つ。特に相手が武器をもっていない場合には、武器をもつ側が確実に勝てる非対称性があるので、攻撃される側も武器をもたないと生命が維持できない。殺さないと殺されるので、人類の歴史の99%以上を占める狩猟採集社会では、戦争が日常的に繰り返されてきた。

多くの人々が定住して農耕を行なうようになると、こうした戦争機械の暴力を抑制するとともに他の集落の攻撃から自衛するために、特定の階級が武力を独占する必要が生じた。だから国家が戦争を生んだのではなく戦争が国家を生んだのであり、国家はTillyもいうように暴力装置を独占する組織暴力なのだ。