異形の王権 (平凡社ライブラリー)今週のメルマガでは、網野善彦の「無縁」の概念を手がかりにして、日本人の中のノマドを考えたが、きのうの読書塾で受講生のみなさんにヒントをもらったので、ちょっとメモしておく。

網野が日本の歴史学界の「農本主義史観」を批判して、漁民や商人や職人などの非定住民の生活を描いたことはよく知られているが、本書にはもう一つの注目すべき発想が書かれている。それは彼のデビュー作『蒙古襲来』から続く、飛礫(つぶて)についての論考である。本書に収められた「中世の飛礫について」という論文で、彼は中世の文献を渉猟し、おびただしい飛礫についての記録があることを見出し、こう書く:
鎌倉末・南北朝期には、悪党・悪僧的、非人的な武力として、飛礫はサイ棒・走木などとともに歴史の本舞台で縦横に飛んでいたのである。それは後年、戦国大名に組織され、その武力として駆使された飛礫よりも、むしろ一揆・打ちこわしの飛礫につながるゲリラ的な武器であった。(p.179)
網野の甥である中沢新一氏によれば、網野が飛礫に興味をもったきっかけは、佐世保闘争で三派全学連が機動隊に向かって投石しているのを見て、子供のころやった石投げ合戦を思い出したことだという。子供が川の両岸に並んで激しく石を投げ合う行事が毎年5月にあったが、それは中世から受け継がれた通過儀礼だったのだ。

これは「空気を読んで平和を好む」という日本人についての農本主義的イメージとは違い、日本社会の主流になったこともない。しかし時代の転換点には、こうした暴力への衝動が歴史の方向を変えることがある。網野はそういう「異形の」存在の代表として後醍醐天皇を描いた。

後醍醐の行なった建武の新政は、形骸化していた官衙(官僚機構)を再建し、天皇が実質的な権力を握ろうとするものだったが、わずか3年で崩壊し、南北朝(後醍醐は南朝)の混乱が60年続いた。これは普通の日本史では、鎌倉時代と室町時代の幕間劇にすぎないが、網野は後醍醐が楠木正成などの悪党非人を動員して北朝と戦ったことを指摘し、「後醍醐は非人を動員し、セックスそのものの力を王権強化に用いることを通して、日本社会の深部に天皇を突き刺した」と述べる。

後醍醐の政治は、日本史の中では「異形」だが、中国では皇帝が権力を直接掌握して官僚機構を動かすのは当たり前だ。日本では天皇は名目的な君主であり、実質的な権力をもつのは武士だったが、それでも後醍醐が軍事的に圧倒的に優勢な北朝に対して60年も戦うことができたのは、彼を支える悪党や非人が日本社会の「深部に突き刺さった力」を体現し、経済的にも大きな力をもっていたからだろう。

このような中国化のエネルギーの源泉が、中沢氏もいうように「日常生活の底が抜けた」とき垣間見える暴力への衝動だとすれば、それは丸山眞男のいう「古層」よりも古いかもしれない。人類は歴史の99%において狩猟採集生活を送ってきたのだから、その遺伝子に組み込まれているのは、農民ではなく自由を求めるノマドの感情なのだ。

南北朝のあと歴史は大きく転換し、非人たちは被差別民として身分を固定され、日本人は内なるノマドを抑圧する「江戸時代的」なシステムを築いてきた。しかし日本人の最古層にあるのが悪党的な暴力性だとすれば、日本社会が大きく変わる可能性もゼロではない。現代の日本で「非人」としてカミングアウトした政治家が、後醍醐に似た「維新」を掲げているのは偶然ではないだろう。