朝日新聞は「プロメテウスの罠」に続いて「電力のかたち」という連載を始めた。電力自由化は結構なことだが、これは原発の是非とは別の問題だ。それを「原発、家庭の選択を縛る」などと混同し、「悪い電力会社をこらしめる」という発想で発送電分離を語るのは間違いのもとである。


一昨日の日経CNBC「ザ・闘論」でも電力自由化が論議になったが、まず必要なのは電力会社の改革である。猪瀬直樹氏も指摘したように、電力会社は道路公団みたいなもので、ファミリー企業をたくさん作って業務を高値発注し、本体の利益を小さく見せている。こうした天下り企業を整理すれば、電気代の値上げは必要ない。

しかし原子力損害賠償支援機構で準国有化された東電に、こういう改革をアドホックにやらせることには無理がある。政府は東電に「リストラ」を求めているが、東電の所有者である株主が守られているのに、労働者に犠牲を強いるのは順序が違う。いま重要なのは、東電を法的に整理して株主が責任を負い、賠償などの事後処理をすみやかに行なうことだ、という点で河野太郎氏と私の意見は一致した。

「賠償で東電が債務超過になる」と称して政府は1兆円の資本注入を検討しているが、そんなことをしなくても東電には7兆円以上の有利子負債があり、債権カットを行なえば賠償の原資は出せる。このためにも株主責任が重要だ。近藤洋介氏(元経産政務官)は「法的整理したら信用不安が起こる」と反論したが、東電の破綻は固有リスクであり、これによって社債市場が影響を受けることはありえない。

枝野経産相などが「発送電の分離」を打ち出しているが、これは東電救済への批判をかわすための目くらましである。かつて経産省が事務次官の指揮する総力戦で電事連に敗れたのに、余命いくばくもない民主党政権にできるはずがない。ニューズウィークにも書いたように、発送電分離より重要で政治的に容易なのは、家庭用の小口電力の自由化である。目的は競争促進であって、インフラ分離でも東電解体でもない。