きのうのニューズウィークでも紹介したが、日銀の白川総裁が1月10日に行なったロンドン講演が評判になっている。ビートルズの曲をモチーフにしたタイトルも、まじめな彼にしてはしゃれているが、特におもしろいのは1990年代と2000年代の不況を別のものととらえた点だ。
他方、クルーグマンが1月9日のブログでほとんど同じことを書いている。生産年齢人口1人あたりでみると、日米のGDP比は2007年に1990年とほぼ同じに回復している。Economist誌も昨年末の記事で同じようなことを指摘し、図のように2001~10年の日本の1人あたり成長率はアメリカやEUより高い。Noahpinionも同じような分析をして「日本が失ったのは10年だけだ」と書いている。

問題は、これをどう見るかである。Fingletonは日本人が誤った悲観主義に陥っているというが、クルーグマンはそれを否定する。10日の記事で彼が示すように、90年代の落ち込みが大きかったために2000年代の伸びは大きいが、労働人口あたりGDPは90年からのトレンドを延長した水準に2007年に戻っただけだ。

これはかなり重要な指摘で、90年代の不況は不良債権で説明がつくが、その処理が終わった2000年代にも不況が続いたのはなぜかというのは、ちょっとしたパズルだった。それが高齢化による労働人口の減少(および消費の減退)で説明がつくとすると、「不良債権の後遺症」といった説明は成り立たない。
つまり2000年代以降の不況とデフレは、90年代とは違って、労働人口の減少による潜在成長率の低下というリアルな原因によるものであり、金融政策で解決するには限界がある――というのが、もちろん白川総裁の意見である。これに対してクルーグマンは「2002~7年の回復期にもっと積極的な金融政策をとればデフレは脱却できた」というが、いずれにせよ現状では金融政策にできることは限られている。
日銀総裁とクルーグマンがほぼ同時に同じ分析をするというのは、たぶん偶然だろうがおもしろい。そこにNoah Smithという大学院生のブログが引用されるのも、アメリカではブログがメディアとして認知されていることを示している(彼は日本語が読め、私のツイッターのフォロワーだ)。日本でも、ブログがこういうふうに学問やジャーナリズムに活用されるようになってほしい。
追記:Noah Smith氏から指摘を受けてNoahpinionの記述を修正した。

これはかなり重要な指摘で、90年代の不況は不良債権で説明がつくが、その処理が終わった2000年代にも不況が続いたのはなぜかというのは、ちょっとしたパズルだった。それが高齢化による労働人口の減少(および消費の減退)で説明がつくとすると、「不良債権の後遺症」といった説明は成り立たない。
つまり2000年代以降の不況とデフレは、90年代とは違って、労働人口の減少による潜在成長率の低下というリアルな原因によるものであり、金融政策で解決するには限界がある――というのが、もちろん白川総裁の意見である。これに対してクルーグマンは「2002~7年の回復期にもっと積極的な金融政策をとればデフレは脱却できた」というが、いずれにせよ現状では金融政策にできることは限られている。
日銀総裁とクルーグマンがほぼ同時に同じ分析をするというのは、たぶん偶然だろうがおもしろい。そこにNoah Smithという大学院生のブログが引用されるのも、アメリカではブログがメディアとして認知されていることを示している(彼は日本語が読め、私のツイッターのフォロワーだ)。日本でも、ブログがこういうふうに学問やジャーナリズムに活用されるようになってほしい。
追記:Noah Smith氏から指摘を受けてNoahpinionの記述を修正した。
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