国会の事故調査委員会の活動が本格化する。委員のうち少なくとも3人は私のツイッターをフォローしており、賠償についての提言を共同で出した八田達夫氏も参与になるらしいので、参考までに今週のGEPRに掲載した中川恵一氏の論文を紹介しておこう。

中川氏のポイントは、現在のICRPの年間1mSvという基準は放射線防護のためのリスク管理の基準であり、それ以上は危険だというリスク評価を意味しないということである。これはわかりにくいが、たとえば自動車の制限速度を時速40kmにするのはリスク管理であってリスク評価ではない。41km以上になったら自動車がすべて危ないということを意味するわけではない。

それにしても、放射線防護の基準は異常に厳重だ。統計的に有意な癌死亡率の増加が認められない年間100mSvぐらいにすることが通常のリスク管理であり、ICRPがその100倍もきびしい基準で規制していることが原子力をめぐる混乱の原因である。今の基準はALARA(As Low As Reasonably Achievable)というICRP独特の考え方で設定されているが、これは先週のコラムでアリソン氏が指摘したように、自動車でいえば時速4マイルに制限するようなものだ。

これに対して「原発事故は最悪の場合には数万人が死ぬので特別だ」という批判がある。私も今回の事故まではそう思っていたが、福島事故の放射能による死者はゼロである。「それは運がよかったからだ。緊急停止に失敗していたらチェルノブイリのようになっていたかもしれない」という意見もある。これについては評価が定まっていないが、最新のUNSCEARの追跡調査では、25年たっても住民に発癌率の増加は見られない。

つまり最悪の場合、チェルノブイリのような事故が起こっても大規模な人身事故になることは考えにくい。それでも90年代にIAEAは「4000人ぐらい死ぬかもしれない」と予想したので、最悪の場合を考えてそれぐらい死ぬと想定しても、石炭では毎年1万人以上が採掘事故で死亡しており、大気汚染でその数倍が死亡している。放射性廃棄物の体積も石炭の1/10000以下なので、処理方法はいくらでもある。主要な障害は政治である。

このように健康リスクという観点から考えると、原子力は年間13万人が死ぬタバコや5000人が死ぬ交通事故はもちろん、石炭火力と比べても優等生であり、それを特別扱いする理由は見当たらない。「命は金に代えられない」という人は、次の図を見てほしい。1970年には、日本の交通事故の死者は年間16000人を超えた。ALARA原則で自動車の制限速度を時速10kmに規制していれば、30万人以上の人命が救えただろう。

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「自動車はなかったら困るが、原発の代わりに火力でもいい」という意見もあるが、これは程度の問題だ。自家用車の代わりに、電車もバスも自転車もある。私は運転免許をもっていないが、不便だと思ったことはない。自家用車を禁止しても利便性はほとんど失われないが、自動車産業は大打撃を受けるだろう。よしあしは別にして、現代文明は命を金に代えているのである。