明けましておめでとうございます。今年も年賀状は出さないので、ブログでごあいさつ。
昨年は巨大災害に遭遇した日本人の冷静な行動が世界から賞賛されたが、政府の対応の混乱とマスコミの流す放射能デマで、二次災害は拡大を続けている。特に朝日新聞は「プロメテウスの罠」という連載で「科学は信用できない。被災者の実感のほうが正しい」というキャンペーンを執拗に続けている。
昨年は巨大災害に遭遇した日本人の冷静な行動が世界から賞賛されたが、政府の対応の混乱とマスコミの流す放射能デマで、二次災害は拡大を続けている。特に朝日新聞は「プロメテウスの罠」という連載で「科学は信用できない。被災者の実感のほうが正しい」というキャンペーンを執拗に続けている。
科学が必ずしも信用できないというのは正しい。理科系の人々は「経済学は曖昧だ」とバカにするが、低線量被曝にみられるように、フィールドでは科学でも白黒のつけられない問題は多い。天動説やエーテル説も、論理的には否定できない。ファイヤアーベントが指摘したように「科学は政治」であり、どのパラダイムが正しいかを決めるのは学界の政治力学である。
行動経済学も教えるように、フレームを決める感情の力はフレームの中で最適化する理性の力よりはるに強く、後者によって前者をくつがえすことはむずかしい。「放射脳」の恐怖に迎合する朝日新聞や自称ジャーナリストは、マーケティングとしては正しいのだ。しかしこのような非合理主義は、合理主義より危険な結果をもたらす。アドルノが指摘したように、啓蒙を野蛮に転じたのは、それを「超克」したと称するファシストだった。
世界の脱呪術化=合理化の限界を指摘したウェーバーも、そこから退行する道はないことを自覚していた。彼はダンテの『神曲』を引用して、「人類史の将来の入口には『この門を入る者は再び出ることを得ず』という言葉が掲げられている」と述べた。西洋的な理性は世界の一つのモデルに過ぎないが、文化の違いを超えて人々が共有できる言語は今のところそれしかないからだ。
科学に限界があることは原発事故で初めてわかったことではないが、その代わりに人々の「安心」や「実感」などの感情に依拠することは、さらに大きな混乱をもたらすだけだ。科学の限界をつねに自覚しながら、論理と事実にもとづいて考えるしか、危機を克服する道はないと思う。そのための仮想シンクタンク、GEPRを明日スタートする。
行動経済学も教えるように、フレームを決める感情の力はフレームの中で最適化する理性の力よりはるに強く、後者によって前者をくつがえすことはむずかしい。「放射脳」の恐怖に迎合する朝日新聞や自称ジャーナリストは、マーケティングとしては正しいのだ。しかしこのような非合理主義は、合理主義より危険な結果をもたらす。アドルノが指摘したように、啓蒙を野蛮に転じたのは、それを「超克」したと称するファシストだった。
世界の脱呪術化=合理化の限界を指摘したウェーバーも、そこから退行する道はないことを自覚していた。彼はダンテの『神曲』を引用して、「人類史の将来の入口には『この門を入る者は再び出ることを得ず』という言葉が掲げられている」と述べた。西洋的な理性は世界の一つのモデルに過ぎないが、文化の違いを超えて人々が共有できる言語は今のところそれしかないからだ。
科学に限界があることは原発事故で初めてわかったことではないが、その代わりに人々の「安心」や「実感」などの感情に依拠することは、さらに大きな混乱をもたらすだけだ。科学の限界をつねに自覚しながら、論理と事実にもとづいて考えるしか、危機を克服する道はないと思う。そのための仮想シンクタンク、GEPRを明日スタートする。