きのうの記事では反原発派の言論攻撃が蓑田胸喜に似ていることを紹介したが、蓑田は日本を暴走させた主犯ではない。彼の極端な言説は次第に政治やメディアの主流からは敬遠され、『原理日本』も1944年には廃刊された。しかし蓑田がはずみをつけた好戦的な世論の暴走は止まらなかった。それを推進した主犯は、新聞である。

半藤一利氏は、1931年の満州事変のあとの朝日新聞の方針転換をこう書いている:
事変が起こった9月18日から即座に、東京朝日は陸軍擁護の太鼓をたたきだしたのに、大阪朝日はそれとは別に「中国民族主義の積極的肯定」という理念をかかげ、軍部批判の筆鋒をゆるめようとはしませんでした。その結果、何が起こったかといえば、在郷軍人会や主戦強硬派による非売運動であったのです。奈良県下では一部も売れなくなったといわれています。
このため、10月12日に大阪朝日は編集局部長会を開いて「現在の軍部及び軍事行動に対しては絶対批難批判を下さず、極力支持すべきこと」を決定した。この結果、戦時中には朝日の部数は1.5倍に増え、それが好戦的な世論をあおり、それによってすべてのメディアが翼賛する・・・というループに入る。

朝日は、原子力についても同じような方針を決めたらしい。「原発ゼロ社会」というスローガンのもと、原発反対派に対して「絶対批難批判を下さず、極力支持すべきこと」を決めたのだろう。22日の記事では「食事からセシウム、福島は東京の8倍」という見出しが躍っているが、本文にはこう書かれている:
平均的な1日の食生活から摂取される放射性セシウムの量が、福島県では東京都の約8倍とする調査結果を厚生労働省の研究班がまとめた。ただ福島県で1年間食べ続けた場合の人体への被曝線量は0.0193ミリシーベルトと推計され、食品の新基準をつくる際に設定している年間の許容線量1ミリシーベルトを大幅に下回っている
福島県の人にとって重要な情報は「許容線量を大幅に下回っている」ことだが、朝日新聞にとっては違う。彼らにとっては「福島の放射能は東京の8倍だ」と恐怖をあおって「原発ゼロ社会」を実現することが重要であり、福島県民の健康なんかどうでもいいのだ。

こうして世論はミスリードされ、健康被害を減らす役に立たない除染が数兆円をかけて始まるが、メディアはまったく批判しない。そして税金は浪費され、財政危機はさらに悪化する。後代の歴史家がその責任を問うとき、また朝日新聞が主犯の一人とされることは確実である。