TPPをめぐる政治家の動きは、尊王攘夷で騒いだ幕末を思い起こさせる。丸山眞男の有名な論文「開国」(『忠誠と反逆』所収)は、この前後の日本の動きを精密に読み解いている。当初は開国を決めた徳川幕府に対する反乱だった尊王攘夷が、いつの間にか開国に変わった経緯については、いろいろな説があるが、丸山が重視するのは、身分制度に対する反抗そのものが開国のエネルギーを内包していたということだ。

徳川幕府は、戦国時代のダイナミックな割拠状態を「凍結」することによって平和を保っていた。そこでは徳川家は他の大名の上に立つ絶対君主ではなく、圧倒的に大きな「天領」をもつだけのfirst among equalsにすぎない。その地位は不安定だったので、幕府は徹底的な相互監視システムをつくり、人々を各藩の土地に縛りつけ、鎖国によって海外との交流を断ち切ることによって250年以上の長期にわたる平和を実現した。

しかしその秩序が動揺すると、凍結されていた下克上のダイナミズムが動き始める。幕府は、このような身分制度の動揺が幕藩体制の崩壊をもたらすことを危惧して彼らを弾圧したが、長い平和の中で文官化していた武士が本来の武官の行動をとりはじめると、それが藩の境を超え、国境を超えることは必然だった。丸山はある藩主の文章を引用してこう書いている:
右の文章は、国際的コミュニケーションが、ただちに国内における凍結された戦国状態の解凍をもたらすという関連を、支配層が本能的に直感していたことをよく示している。[それは]本質的には、全身分秩序を連結するリンクの弛緩への危機感である。(『忠誠と反逆』p.170、強調は原文)
日本のように短期間に排外主義が対外開放に変わった国はほとんどない。清は西洋諸国を「夷狄」と見下して真剣に対応しなかったため、侵略されて没落した。これに対して日本の天皇は中国の皇帝のような絶対的権力をもっていないため、相手のほうが強いと見れば妥協し、「富国強兵」のためには西洋の技術を導入する使い分けが容易だった。

西洋文明の本質的な影響を受けないで、その技術だけを取り入れることができたのは、このような「日本的機会主義」のおかげである。それが可能だったのは、日本人の「古層」の安定性が強かったためだ。伝統的な社会の規範が弱いと、西洋の技術と一緒に入ってくるキリスト教などの文化に影響されて社会秩序が動揺するが、日本ではそういう混乱がほとんど起こらなかった。

このように日本は、新しい技術や文化を急速に取り入れる一方、その基盤となる「古層」はほとんど変わらない二層構造で、明治以降の激しい変化に見事に対応してきた。しかし今や表面をまねる段階は終わり、ローカルな閉じた社会の文化である「古層」を変えないとグローバル資本主義に対応することはむずかしい。

TPPには、かつての開国のような大きなインパクトはないが、それに反対する政治家の行動は、幕末に下級士族を藩に縛りつけようとした藩主に似ている。彼らは、開国によって社会が流動化すると、農業利権のアンシャンレジームが崩壊することを知っているのだ。彼らがグローバル競争を恐れる気分はわかるが、競争を否定してもそれをなくすことはできない。

特に今後、中国のプレゼンスが高まる中で、日本が米中の「G2」に埋没しないためには、積極的にアジアの経済統合のリーダーシップを取る必要がある。かつての開国のときは、攘夷のパワーを幕府の打倒に集中し、開国によって尊皇を実現する戦略転換を行なったリーダーがいたが、今の日本にはそれが見当たらない。