原発危機の経済学原発をめぐっては、歯切れのいい言葉が多い。事故の直後には「原発なしでも電気は足りる」とか「再生可能エネルギーで100%まかなえる」といった威勢のいい話があったが、最近はすっかり聞かれなくなった。エネルギー問題はきわめて複雑であり、すべてを解決する「魔法の杖」はないと認識することが、解決の第一歩である。

本書は問題の複雑さを反映して、歯切れがよくない。「脱原発」とも「原発推進」とも結論を出していない。原発事故の原因について論じた部分はわかりにくいが、原子力産業の投資の失敗をどう処理するかという議論は投資理論の応用のような面があり、著者の専門知識が発揮されている。「原子力を特別な技術と考えず、普通の投資プロジェクトとして考える」という本書の精神は、政治やイデオロギーのからむ原子力問題を考える上では重要である。

原子力は破綻した産業だが、それをなくすことはできない。巨額の設備投資を行なった以上、「ゼロベース」で考えることはできないのだ。これは政治もからむ複雑な問題で、原子力産業の「事業再生」には創造性が必要だ。本書もいうように、現在の政府の賠償スキームは曖昧で矛盾だらけであり、遅かれ早かれ破綻するだろう。これを機会に、日本のエネルギー産業を根本から考え直す必要がある。

本書もいうように、原発の安全性も経済性も放射線の被曝基準に依存する。ところが、ほとんどの放射線医学の専門家は、福島第一の事故では健康被害は出ないと言っているのに、東電は5兆円以上の賠償とそれを上回る除染のコストで経営が破綻するとみられている。これは実に奇妙なことだが、本書もこの問題については歯切れがよくない。最後で主観的な安心のコストを政府がどこまで負担すべきかという問題を立てているが、答は出していない。

私は、政府が責任をもつべきなのは科学的根拠のある安全だけで、それ以上の心理的な不安のコストは負担すべきではないと思う。不安を除去することは必要だが、そのコストは各自が負担すべきだ。それを政府が負担すると、ダイオキシンやBSEのように過大な社会的コストを消費者や納税者が負担する結果になる。

エネルギー問題は多くの専門分野にまたがる複雑な問題で、原子力工学の専門家にも放射線医学の専門家にも全貌がわからない。経済学者はどの分野の専門家でもないが、効率という尺度で全体を統一的にみることができる。経済学者が、本書のようにエネルギー問題にもっと発言すべきだと思う。