Bounded Rationality in Macroeconomics: The Arne Ryde Memorial Lectures (Clarendon Paperbacks)今年のスウェーデン銀行賞は順当だったが、あまりにもテクニカルな計量経済学の話なので、ほとんど話題にならなかった。私もSimsの業績は知らないが、Sargentの論文は学生時代に読んだことがある。当時は彼のような「合理的予想」モデルが大流行だったが、私には違和感があった。

その原型になったRamseyのモデルは「一生の間にどうすれば消費を最大化できるか」という規範的な理論なのに、Lucas-Sargentの理論はそれを「代表的家計」の超合理的な行動と考えて動学的な均衡経路を計算するのだ。これは構造モデルが単純に書けるので計量分析に乗りやすいが、論理的に無理がある。Sargentも「[DSGEは]共産主義のモデルだ。そこでは計量経済学者は神と同じモデルを共有しているのだ」と語っている。

マクロ経済学者は「それはあくまでもベンチマークで、価格の硬直性などを入れれば現実のデータを近似できる」というが、ここでは均衡(定常状態)は一意的で安定しているという仮定がアプリオリに置かれているので、金融危機は「アノマリー」でしかない。いわば天体の運動を天動説で説明し、惑星は例外として記述するようなもので、最近の世界経済の状況はこういう理論ではまったく理解できない。

本書は、そんなSargentが珍しくニューラルネットや進化を論じたものだ(絶版)。タイトルには「限定合理性」とあるが、サイモンやカーネマンなどの話ではなく、盲目的に行動するエージェントを記述するというぐらいの意味だ。90年代の前半は、こういうのが流行したが、結果的にはマクロ経済学の主流にはならなかった。それはモデルの自由度が高すぎてシャープな結論が出せず、計量分析にも乗らないからだ。

競争のインセンティブを強めすぎると、数値に現われるセールスマンなどの仕事が偏重され、バックオフィスの地味な仕事が軽視されがちになるというのはゲーム理論の教えるところだが、最近の経済学はその罠にはまっているように見える。特に日本では、格好いい理論モデルより泥臭い現実の分析をしないと、今の行き詰まった状況は脱却できないだろう。Sargentの主要な業績より、貨幣の発生や複数均衡をテーマにしたこの小さな本のほうがそういうヒントを含んでいる。