先日の武田邦彦氏についての記事には、意外に大きな反応があった。彼の話がでたらめであることは多くの専門家が指摘していることだが、中島聡氏などはまだそれを信じているらしい。私のブログに対する実名の批判は珍しいので、お答えしておこう(細かい話なので、興味のない人は無視してください)。

「広島・長崎の被爆者のデータに関しては、米国が軍事秘密扱いしたこともあり、正確なデータがすべて公開されているとは言いがたい」というのは間違いである。米軍が報道を検閲したのは核爆発による被害であり、被爆者についてのデータは、放射線防護のために詳細に調査され、公開されている。被爆者手帳で長期にわたって追跡されたので、これは質量ともに最高の疫学データである。それが不十分だというなら、世界中に十分な疫学データは存在しない。

中島氏が紹介している1997年の論文は、LNTモデルにもとづいて放射線の被害を計算しただけで、私はそのモデルが間違いだと主張しているのだから、何の反論にもなっていない。もちろん私は放射線医学の専門家ではないので、一次情報はもっていないが、学会誌に出た2009年のサーベイ論文をみてもわかるように、圧倒的多数の研究はLNTモデルを否定している。そのモデルにもとづいて中島氏は
この200万人中1600人という数字を多いと見るか少ないと見るかは人によって違うだろうが、子供を抱える福島のお母さんたちに向けて「100ミリシーベルト以下なら健康に被害がない」と言い切ってしまうことは、あまりにも無責任だし誠実ではないと思う。
と結論するが、この「200万人中1600人」が正しいとしても、発癌率でいうと0.08%。日本人の約50%は癌になるので、それが50.08%になるというのは誤差の範囲で、統計的に有意ではない。

世の中に発癌物質は山ほどあり、放射線と同等のリスクがある物質だけをあげても、タバコ、アルコール、コールタール、煤煙、日焼けマシンなど、日常生活にも多い。塩分も、とりすぎると癌の原因(15%)になる。それに比べると――LNT仮説を認めたとしても――20mSvで0.08%というのは、塩分とりすぎのリスクの1/187である。

もちろん放射線に「健康被害が絶対にない」とは言い切れないが、同じ意味では携帯電話にもコーヒーにも発癌性がないとは言い切れない。100mSv以下の放射線のリスクとは、その程度のものなのだ。多くの人は、放射能=核物質=原爆という連想で桁外れの危険があると思いがちだが、史上最悪のチェルノブイリ事故でも判明した死者は数十人。これぐらいの炭鉱事故は、中国では毎月のように起こっている。

「子供を抱える福島のお母さんたちに向けて・・・」というフレーズで、中島氏はどういう効果をねらっているのだろうか。「被災者の感情」とか「子供の命」などという殺し文句を振りかざし、相手を「無責任」だとか「誠実ではない」となじって黙らせるのは、昔の反公害運動の「遺影デモ」と同じ呪術的な手法である。山本七平の批判した「空気」の支配が、いまだに反原発派を呪縛しているということだろう。

*ちなみに中島氏の錯覚については以前の記事で指摘しておいたので、反論があればどうぞ。私は「けんかを売った」こともないし買ったこともない。武田氏や中島氏の話は事実と違うと指摘しているだけである。