原発のウソ (扶桑社新書)私が伊方原発訴訟を取材していたころ、情報源は久米三四郎氏の率いる原告団支援グループで、著者(小出裕章氏)はその実働部隊の一人だった。伊方訴訟は最高裁まで争って原告(住民)側が敗訴したが、内容的には原告勝訴だった。炉心溶融が起こる可能性が理論的にはある(が蓋然性はきわめて低い)ことを被告(国)が認めたからだ。福島事故は、このとき原告側が立証した可能性が現実になったもので、この点を説明する本書の前半は正しい。

しかし後半の放射能の危険を語る部分は弱い。著者は原子炉工学の専門家であって放射線医学の専門家ではないからだ。彼はチェルノブイリで10万人以上の死者が出たとしているが、その根拠は反原発派のパンフレットと現地の医師の「証言」だけだ。

医学を知らない彼の主張は、すべて放射線の健康被害には閾値がないというLNT仮説に依存しているが、その根拠として引用されるのは、2006年のBEIR委員会の報告書だけである。著者はその結論を引用して、こう述べる:
利用できる生物学的・生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した:被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない。最小限の被曝であっても、人類に対して危険を及ぼす可能性がある。(p.70)
本書の安全な被曝は存在しないという主張は、このBEIR報告書だけに依存している。LNT仮説はエーテル説のような証明されざる仮説であり、それが否定されると(絶対空間を前提とする)ニュートン力学全体が崩れるように、著者の主張も(それに依拠している反原発派の主張も)崩れてしまうのだ。

そして著者には気の毒だが、その後の研究のほとんどはBEIRの結論を否定し、100mSv以下の被曝による健康被害はないと指摘している。これはややテクニカルな問題なので、今週のメールマガジン「エネルギー問題のウソとホント」でくわしく解説した。続きはメルマガで(最初の1ヶ月は無料で読めます)。

追記:最新のサーベイとしてはTubiana et al.があるが、BEIR VIIを全面的に否定している。

追記2:BEIRの結論は、広島・長崎の瞬間的被曝についての調査結果をもとにしてLNT仮説を支持しているが、これには批判が多い。ICRPの線量基準になっている累積的被曝については、年間1050mSvでもDNA異常は増えない。