NHKのブログにタレブのインタビューのトランスクリプトが出ている。おもしろいので、例によって適当に訳して紹介しておこう。
もう一つは、短期的なボラティリティを先送りすると長期的には破滅が起こるということ。これは彼が金融バブルについて言ったことだが、日本の場合は財政バブルの崩壊が近づいている。ロゴフもいうように、財政破綻が起こると予想されているときは、必ず起こるのだ。
質問:福島の原発事故は、ブラック・スワン的な事象ですか?聞き手が答を理解していないので、話が繰り返しになっているが、タレブはおもしろいことを言っている。一つは、何が危ないかは当事者にしかわからないので、政府が規制を強化しても意味がないということ。それより事故が起きたら会社がつぶれて全社員が職を失うぐらいの強いペナルティを与えることが有効だ。したがって東電を救済することは、安全対策として最悪だ。
ブラック・スワンか否かは立場によって違う。七面鳥にとってのブラック・スワンは肉屋にとってはそうではない。福島事故は、人間にとってはブラック・スワンだが、自然の中では周期的な出来事だ。しかしこのように非常にまれな出来事を想定するとき、人はその確率を過小評価しがちだ。
資本主義は、リターンを受け取るものがリスクも負うときはうまく機能するが、高い防波堤を建てることによる利益がはっきりしないと、津波の確率を低く見積もるインセンティブが生じる。事故が起きたら、会社が確実につぶれるというペナルティが重要だ。
質問:リスクは測ることはできますか?
非常にまれな出来事については期待値も分散も計算できないので、従来の統計学的モデルによるリスク推定は使えない。こういう問題については、発見的リスクと私が呼んでいる方法を使うしかない。これは試行錯誤で経験に学ぶ方法だ。
ファイナンスでいえば、AAAのはずの債券がジャンクだったら大変なことになる。こういうことが一度でもあったら、確率とは無関係に最悪の場合を基準にして行動すべきだ。リスクを管理するモデルが誤っているというリスクも考える必要がある。
最悪の場合を考えたら、原発の建物はもっと頑丈につくるべきだった。それが経済性に見合わなければ、原発そのものを放棄することも一案だろう。東日本大震災のような怪物的なリスクを事前に予測することは不可能であり、前例は参考にならない。
質問:著書で「日本人はランダムネスの扱いがへたなので、人々はボラティリティを避けようとして破滅(blow up)をまねく」と書いておられるのは、どういう意味でしょうか?
それが福島で起こったことだ。日本人は小さな失敗をきびしく罰するので、人々は小さくてよく起こる失敗を減らし、大きくてまれな失敗を無視する。アメリカは小さな失敗にも大きな失敗にも寛容だ。
私は大きな失敗はよくないと思うが、小さな失敗はむしろ好ましいと思う。イノベーションは、小さな失敗の積み重ねだ。イギリスの産業革命は、試行錯誤と失敗から生まれたのだ。これは「ブリコラージュ」と呼ばれる発見的な過程だ。あなたは小さな失敗を積み重ねることによって新しいことを発見するのだ。
だから日本人は、小さな失敗を許すべきだ。カリフォルニアには“fail fast”という言葉がある。いかに失敗するかを知っていることが、ハイテク企業が生まれる理由だ。日本人は既存のフレームの中では問題を受け入れるが、そのフレームを変えようとすると、失敗を恐れる。
私の本の中で二つのペイオフを論じた:一つは、日常的に小さな利益を得て、大事故ですべてを失う――これが福島事故だ。もう一つは、普段からボラティリティが大きいが、破滅的な事故は起こらない。
『ブラック・スワン』の新版では、ボラティリティを恐れることが世界を脆弱にしていると論じた。自然はボラティリティをもっているので、それを抑圧すると爆発するのだ。
たとえばアメリカの中東政策は、各国の非民主的な政権を援助して見た目の安定を実現したが、アルカイダのような破滅的なリスクをまねいた。レバノンは日常的にテロが起こっているが、戦争は起こらない。イタリアでは戦後、60の政権が交代したが安定している。
質問:日本は想定外の出来事にどう対応するべきなのでしょうか?
ボラティリティを恐れないで、破滅を恐れるべきだ。ローマ人は「揺れる船は沈まない」と言った。小さな変動は望ましい。危ないのは、それを人工的に抑圧することだ。バブルの崩壊は、こうした問題の先送りによって起こる。
もう一つは、短期的なボラティリティを先送りすると長期的には破滅が起こるということ。これは彼が金融バブルについて言ったことだが、日本の場合は財政バブルの崩壊が近づいている。ロゴフもいうように、財政破綻が起こると予想されているときは、必ず起こるのだ。