内部被曝の真実 (幻冬舎新書)これから除染についての本格的な議論が始まる。著者はその必要性を国会で強く訴え、その証言はYouTubeで62万回以上再生された。本書の主要部分はその書き起こしで、彼の結論は次の4つである:
  1. 国策として食品、土壌、水を測定してゆく。
  2. 緊急に子供の被曝を減少させるために新しい法律を制定する。
  3. 国策として汚染土壌を除染する技術に民間の力を結集する。
  4. 除染には何十兆円という国費がかかる。負担を国策として負うことを確認し、除染の準備を即刻開始する。
3まではわかるが、問題は4だ。朝日新聞のいうように年間1mSvの放射線も除去しようとすれば、80兆円ぐらいかかるだろうが、国の一般会計は92兆円。そんな巨額の負担を「国策として負う」ことはできない。

著者の「何十兆円」の算定根拠は、イタイイタイ病でカドミウムの除染にかかった8000億円/1500haだが、この除染には疑問がある。そもそもイタイイタイ病の原因がカドミウムかどうかは科学的に不明であり、裁判で状況証拠によって認定されたに過ぎない。このような広範囲にわたって表土をすべて削り取る作業は、費用対効果が疑わしい。

放射線の内部被曝については、JBpressでも書いたように、福島県の検査でも70歳までの生涯で2mSv余りが最高である。年間100mSv以下の被曝で発癌率が上がるという証拠はなく、著者も今月の『文藝春秋』の記事では、線量について論争があることを認めている。しかし「わからないときは安全側に立つべき」だから早く除染を始めろという。

これは科学者の立場としてはわかる。地球温暖化のリスクについても論争があるが、気象学者は「安全側に立って温室効果ガスを削減すべきだ」という。しかし、これにかかる数兆ドルのコストに見合うメリットがあるのかどうかについては、多くの経済学者は懐疑的だ。除染にせよ温暖化にせよ、環境対策は第一義的には経済問題であり、便益を上回る費用をかけることは社会的損失になるからである。

いい加減な基準で過大な規模の除染を行なうと、著者も懸念するように「利権がらみの公共事業」になるおそれが強い。「除染の準備を開始する」のはいいとしても、具体的にどういう基準で行なうのかは、科学者のみならず経済学者も含めて費用と便益の評価を行ない、国会でも慎重に審議すべきだ。福島県の調査結果によるかぎり除染を急ぐ必要はなく、まず安全な地域への帰宅を進めたほうがいい。