中国の鉄道事故は、中央電視台までが公然と政府を批判し、温家宝首相が現地へ行って謝罪するという異例の展開をみせてきた。これはちょっと前の「ジャスミン革命」を思い起こさせるが、こういう状況は、以前の記事でも書いたように、複数均衡のもとでの均衡選択である。

複数均衡でどのナッシュ均衡が選ばれるのかというのは、ゲーム理論家を悩ませてきた厄介な問題だが、重要なのは共有知識が均衡選択に大きな役割を果たすことだ。ナッシュ均衡が成立するための十分条件は、
  1. ゲームの構造について全員が同じ知識をもっている
  2. 合理的であることを互いに知っている
  3. 全員の予想が共有知識である
という3つで、1と2の合理化可能性条件だけでは均衡が決まらない(Aumann-Brandenburger)。共有知識の代わりに「共産党は裏切り者を処罰する」という規範が共有されていれば相関均衡は成り立つが、この規範も多くの人に共有されるがゆえに自分もそれに同調することが有利になるという同語反復的な構造をもっているため、それを共有する人々が減ってノイズが多くなると崩壊する。

いまアジア・アフリカで起こっている変化の原因は、リアルな政治経済情勢だけではなく、インターネットによる情報共有で、こうした認知構造が変化していることだと思う。この変化は非線形なので、ある閾値までは何も起こらないが、それを超えると一挙にベルリンの壁が崩壊するようなレジーム・スイッチが起き、それは不可逆である。エジプトの場合は、そのスイッチは軍だったが、中国の場合はメディアかもしれない。

チュニジアやエジプトは閾値を超えたが、中国は少し古い均衡から動き始めたというところだろうか。まだ先は長いだろうが、「グラスノスチ」が始まってからソ連が崩壊するまで5年しかかからなかったことを考えると、いったん始まったら変化は意外に速いかもしれない。協調ゲームの閾値は相対的なペイオフの比で決まるので、中国人の中に自由を求めるマグマがたまっていれば、1/100ぐらいが反抗しただけで閾値を超える可能性がある。

これは実は、日本も同じだ。フォーク定理は、数学的には「長期的関係があれば1回限りのナッシュ均衡より高い利得が実現できる」ことを示しているだけで、長期的関係があっても相手が裏切ると予想すれば自分も裏切ることが最適反応になるので、複数均衡の問題が生じる。ここから協力を選ぶために決定的なのは、みんなが協力するという共有知識である。

戦後の日本で系列関係や長期雇用が支配的だったのは、高い成長率が長期にわたって続くというフレーミングが共有されたためだが、いま起きている変化は、人々の長期的関係を支えていた成長の期待がなくなる一方、グローバル化によって外部オプションの利益が高まり、裏切り(合理的行動)が増えていることだ。

このように長期的関係についての共有知識が失われる変化は不可逆なので、互いに裏切ることを前提にしてルールを設計し直すしかない。それは契約や財産権などの非人格的なルールによって人々を拘束する法の支配である。いま日本社会が直面しているのも、中国とは別の意味でゲームの規則が変わるレジーム・スイッチである。