ゲーム理論による社会科学の統合 (叢書 制度を考える)きのうの記事で紹介した規範やフレーミングを理論的にどう説明するかという問題は、経済学のフロンティアである。一つの方向は、プロスペクト理論や事例ベース理論のような新しい意思決定理論として定式化するもので、これはGilboaに解説されている。もう一つはTirole-Benabouのように規範を合理的に説明するもので、本書もその一つといえよう。内容は原著について紹介したので、ここではその問題点を指摘しておく。

本書は規範をゲーム理論で説明し、これをすべての社会科学の基礎にしようという野心的な試みだ。従来のゲーム理論では、規範をナッシュ均衡として説明するが、著者はそれは無理だという。ナッシュ均衡は、すべてのプレイヤーの利得関数についての共有知識を全員がもつことが条件なので、多人数の社会では成り立たない。また複数均衡の問題を解決できない。

ナッシュ均衡が成り立っているように見えるのは、実は限られた情報を全員が見ているからだ。それを著者は相関均衡で説明する。これは超簡単にいうと、共通のシグナルを見て全員が行動すると、複数均衡の中から一つが選ばれるという解概念だ。たとえば交差点で全員が自由に行動すると衝突するが、信号を見て赤のときは止まるというルールを守ると規範が成立し、自分だけそこから逸脱するインセンティブがない。

しかし相関均衡はナッシュ均衡を含むので、複数均衡の問題は解決できない(シグナルが変わると均衡も変わる)。そこで著者は共通事前確率の存在を仮定して、一意的な規範の成立を導く。この場合に鍵になるのは、事前確率を共通化する相関装置である。習慣とか宗教とか法律などの規範は、そういう装置の役割を果たす。

以上の議論は、応用ゲーム理論としては成り立っていると思うが、「どの規範が選ばれるか」という問題を「どの相関装置が選ばれるか」という問題に置き換えたにすぎない。著者は、複数の規範の中から進化によって効率のよい装置が選ばれると説明するが、これはトートロジーである。

本質的な難点は、規範の成立をベイジアン合理性で説明していることだ。これはカーネマンのモデルでいえば、システム1の領域の問題を無理やりシステム2で説明するもので、実験的な検証には耐えないだろう。少なくとも心理学や言語学の研究者は、フレームやスキーマがアルゴリズムで決まるという理論には賛成しないので、こういう不自然な合理主義で「社会科学を統合」するのは不可能である。