環境リスク学―不安の海の羅針盤環境リスクを評価するとき重要なのは、本書も指摘するようにハザード(化学物質の一定量あたりの毒性)とリスク(確率的な危険度)を区別することである。たとえば河野太郎氏の次の議論は、両者を取り違えたものだ:
原発が最も命に優しいという議論をする人がいる。石炭なら炭鉱事故で人が死ぬ、原発では死んだ人が少ない、だから原発は安全だという理屈らしい。でも、青酸カリで死ぬ人はほとんどいないけど、タバコで肺がんになって死ぬ人はたくさんいる、だからタバコが青酸カリより危険?どういう理屈なのかな。
青酸カリのハザードはタバコよりはるかに大きいが、それは毒物として厳重に管理されているため、摂取量はゼロに等しい。リスク=ハザード×頻度なので、タバコのリスクは青酸カリより大きいのだ。環境リスクを測定した著者らの調査によれば、化学物質によって失われる余命は次のようになる:
  • 喫煙:数年~数十年
  • 受動喫煙:120日
  • ディーゼル粒子:14日
  • ラドン:9.9日
  • ホルムアルデヒド:4.1日
  • ダイオキシン:1.3日
  • カドミウム:0.87日
  • 砒素:0.62日
  • メチル水銀:0.12日
  • DDT:0.016日
かつて公害問題で騒がれた水銀やカドミウムより、喫煙のリスクが飛び抜けて大きい。少し前に問題になったダイオキシンも、ほぼ無視できる。ハザードはどれもタバコより大きいが、環境中にほとんど存在しないからだ。もちろんその量はゼロではないが、今ある量では健康に影響はないので、ゼロにする必要はない。

問題はリスクを無害なレベルに抑えることなので、ダイオキシンをゼロにするために全国のゴミ焼却炉を何兆円もかけて改造したのも、全国民が100年間食べ続けて1人ぐらいしか患者の出ないBSEのために全量検査したのも無駄である。しかしメディアにとっては、ハザードが大きく頻度の小さいものほどニュースになりやすいので、人々は珍しいリスクを過大評価する。

原発事故の1回あたりのハザードは非常に大きいが、そのリスクは火力より小さい。東日本大震災のような超大型の地震や津波が日本で起こることは今世紀中は考えられず、その対策も取られているからだ。たとえ同様の事故が起こったとしても、放射線による死者は出ないだろう。問題は損害賠償などのコストだけで、これは保険でカバーできる。ただ、このように大きなテール・リスクを民間企業が取ることは困難なので、原発はすべて政府が買収して国営化することも一案だろう。

追記:本書は7年前の本だが、著者は原子力のリスクは過大評価され、電磁波のリスクは過小評価されているとのべている。