ここ1ヶ月でエネルギー問題を勉強したにわかエコロジストは「原発は反自然エネルギーだから凶悪で、太陽光は地球にやさしい自然エネルギーだ」と思っているのだろうが、太陽電池はきわめて人工的な技術であり、風力発電は環境破壊がひどい。上の写真はパームスプリングスの風力発電機だが、これが「自然」な風景だろうか。

ニューズウィークにも書いたことだが、「自然エネルギー」という言葉を使うのは、エネルギー問題を理解していない人の特徴である。化石燃料はもちろん原子力も、太陽を見ればわかるように自然のエネルギーである。人工のエネルギーなんかありえないのだから、自然か反自然かということは意味をもたない。

再生可能エネルギーが化石燃料と違うのは、資源が枯渇する心配がないことと環境汚染が少ないことだ。しかし埋蔵量でいえば、石炭も天然ガスもウランも(劣化ウランを再利用すれば)数百年あるので、再生可能エネルギーの優位性は環境負荷が小さいことに尽きる。大気汚染は重要な問題だが、地球温暖化は問題が存在するのかどうかも疑わしい。民主党も「温室効果ガス25%削減」は放棄したようなので、今後むしろ再生可能エネルギーは不利になるだろう。電気代の3倍も払う補助金が切れたら、終わりである。

ハイデガーも述べたように、自然を掠奪して人間が豊かになることは西洋近代の「業」であり、われわれの文明は本質的に反自然なのだ。このような「人間疎外」を否定して自然に返ろうというロマン主義が70年代には流行したが、それを実践したのはヤマギシ会とユナボマーぐらいだろう。人々は「自然な貧しい生活」を選ばなかったのだ。「省エネ」のもっとも進んだ日本でも、エネルギー消費は一貫して増えている。

かつて水俣病や四日市喘息が問題になったときの「公害問題」は生命の脅威だったが、そういう深刻なリスクは80年代までにほぼ除去された。いま騒がれている「環境問題」のほとんどは、漠然とした「自然」への憧れを満たす贅沢品である。「地球にやさしい」エネルギーを使いたいなら、それなりの高価格を払える人がやればよい。「ソーラーハウス」に何百万円もつぎこむのは自由だが、政府に彼らの趣味のコストを負担するように要求するのは筋が通らない。