もう原発の記事はやめようと思っていたのだが、まだまだ議論が続くので、また原発の話。うんざりしている人は無視してください。

私が今度の震災を「1000年に1度ぐらいのブラック・スワン」だと書いたことを町村泰貴氏が批判しているが、福島県沖で14mを超える津波が起こったのは、869年の貞観地震以来のことらしいので、1100年ぶりである。三陸沖地震のときは30m以上の津波が起こったというが、それはリアス式海岸で波が増幅されたためで、福島県沖で観測された最大の津波はチリ地震のときの3m余りだ。

実は、本質的な問題はそこにはない。原因が何であれ、冷却水が抜けてECCSが動かない上に非常用電源もすべて切れる事態は、論理的には考えられる。その可能性をどこまで設計に反映させるかは、電力会社の経営判断だ。班目春樹原子力安全委員長は、浜岡原発訴訟の中部電力側の証人として、こう証言している。
非常用ディーゼルが二台同時に壊れて、いろいろな問題が起こるためには、そのほかにもあれも起こる、これも起こる、あれも起こる、これも起こると、仮定の上に何個も重ねて初めて大事故に至るわけです。[・・・]何でもかんでも、これも可能性ちょっとある、これはちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対造れません。だからどっかでは割り切るんです
この発言がネット上で批判を呼んでいるが、これは工学的には当たり前だ。ジェット機のエンジンがすべて止まったら落ちるに決まっているが、それを防ぐために無限に多くのエンジンをつけることはできない。原子炉は特殊な燃料を使ったボイラーにすぎないが、ボイラーの爆発はありふれた事故で、そのリスクをゼロにすることは求められない。起こる確率を最小化し、起こったとき被害が広がらないように設計すればよい。

ところが原発の場合は、最悪の事故(China syndrome)が起こった場合には、死者が数千人から数万人という非常に大きな被害が出る可能性がある。その確率がいくら小さくても「割り切る」ことはできないというのが反対派の主張であり、これは傾聴に値する。極端な話、北朝鮮からミサイルが飛んできて原発を破壊する確率はゼロではないので、そういうリスクをどう考えるかはむずかしい問題だ。

しかし旧共産圏以外では、そういう事故は起こっていない。福島第一の場合も、運転そのものは緊急停止したので、最悪の事態ではないのだ。この程度の事故なら、斑目氏のいうように割り切ることは妥当である。被害を確率的に計算して、経済的に見合うなら建設すればいいし、他のエネルギーのほうが経済的なら無理して進めないほうがいい。

実は今回の事故の原因はそういう本質的な問題ではなく、非常用電源とポンプをすべて浸水する建屋に置き、電源車からの送電も(電圧が違うために!)できなかったという設計ミスにある。ほぼ同じような津波をかぶった福島第二では、非常用電源やポンプを気密性の高い原子炉建屋の中に置いていたため、問題が起こらなかった。

つまり問題は安全性か経済性かという一般論ではなく、浸水に備える設計の問題にすぎないのだ。非常用電源とポンプのうち1系統を原子炉建屋の中に配置することは、数億円のコストでできたはずである。これは柏崎原発の資料で判明したことだが、東電の社内で事前にそういう指摘が行なわれていたかどうかが、今後の焦点だろう。

これまで判明した事実をみるかぎり、今回の事故はお粗末な設計と経営陣の判断の誤りによる平凡なプラント事故である。原発事故が「文明災」だなどという大げさな話をする前に、まず事故調査委員会が原因を正確に調査したほうがいい。