けさからツイッターで、やたらに「東電の手先」とか「いくら金もらってるんだ」とかいうコメントが来るので何事かと思ったら、勝間和代氏が謝罪したのでおまえも謝罪しろということらしい。でも申し訳ないけど、私は一度も「原発は絶対安全だ」とか「原発を推進しよう」とか言ったことないんだよ。

事故の翌日の記事で、私は「メディアの報道は蒸気の放出に集中していて、炉内の温度や圧力がコントロールできたのかどうかがよくわからない」と疑問を呈している。このときNHKで東大の関村直人教授は「原子炉は安定しており、まったく問題ない」と繰り返していたが、私は「炉内の圧力が上がっているのは原子炉を制御できていないことを示す」ので、それは疑問だと書いた。結果はいうまでもなく、関村氏が間違っていた。

3月17日のニューズウィークでは「福島第一原発はチェルノブイリにはならない」と書いた。これは福島第一からチェルノブイリのような死の灰が出て大量の死者が出ることはありえないという意味で、政府見解と同じだ。むしろ放射線量だけでレベル7とするINES基準に疑問があるという専門家が多い。

勝間発言が問題になった3月26日の「朝まで生テレビ」に私も出演したが、その補足記事でも「原発のリスクはゼロではないし、ゼロにすべきでもない」と書いている。これについて町村泰貴氏は私の発言を「経済性が大事で、火力より安く上がらなければ意味がないから、安全性を高めるのはほどほどに、つまりはリスクも飲み込んで作ってきたわけだ」と要約して批判しているが、これは誤解である。

私が言ったのは「炉心溶融のリスクがある軽水炉は工学的には危険な技術で、リスクをゼロにするには、出力を数万kWぐらいに落として炉心溶融しても圧力容器が壊れない設計にすればいいが、それでは規模の利益がなくなって火力とコストで競争できない」ということである。つまり軽水炉でリスクを工学的にゼロにすることは可能だが、それでは原発は経済的に成り立たないので、すべてやめるしかないと言っているのだ。

ところが町村氏は「原発に伴う将来のコストを負わせたら、経済性が悪くなって火力発電所に負けちゃうと宣う池田先生は、きっと原発事業者に負わせるべきでないというのだろう」という。どうも私は原発推進派と見られているようだが、これは事実誤認である。私は3月23日の記事で「政府は東電を救済するな」と書いている。

彼のような法律家にも私の立場がわかりにくいのは困ったものだが、結論からいうと私は原発推進派でも反対派でもなく、「現状維持派」ともいうべき立場である。総合的なリスクは原発より火力発電のほうが大きいが、こんな事故のあと原発を新設することは当分不可能だろう。しかし原発の運転を停止すると電力不足がもっと深刻になるので、とりあえず既存の原発は動かしてエネルギー政策を考え直したほうがいい。

その場合、原発のアキレス腱は安全性より経済性である。4月5日の記事でも書いたように、原発は核燃料サイクルや損害賠償のコストを考えると、私企業には不可能なプラントになったといわざるをえない。たぶん短期的な解はガスタービンだと思うが、長期的なエネルギー安全保障を考えると、原子力というオプションは捨てないほうがいいと思う。

追記:町村氏から反論がきた。耐震設計については議論のあるところだが、福島第二などを見ても、問題は堤防の高さより電源を収容する建屋の気密性だったようだ。これは原子炉本体よりはるかに安上がりの対策で、コスト節約で手を抜いたというより設計者のセンスが悪かったのではないか。