最初にクイズ:次の10の行為の中で、健康に有害なリスクが最大と最小のものは何か?
  1. 原子力発電所の近くに居住する
  2. 鎮痛剤を飲む
  3. 大気汚染のかなり著しい場所に居住する
  4. 飛行機に乗る
  5. エスカレーターに乗る
  6. タバコを吸う
  7. 入浴する
  8. 電車に乗る
  9. スキーをする
  10. コーヒーを飲む
最大は多くの人がわかるように6で、最小はわからない人が多いだろうが5である。しかしアンケート調査では、最大は3で最小は7だった。実はこのリストは、人々の考えているリスクと実際のリスクの差、すなわちバイアスの大きい順に並べたものだ。この順序を見ると、非日常的でニュースになりやすい原発、薬害、公害、飛行機事故などのリスクが過大評価される一方、日常的なリスクが過小評価されることがわかる。

「アゴラ」でも紹介したように、このように人々が珍しい(小さな)リスクをありふれた(大きな)リスクより大きく評価する傾向は、代表性バイアスの一つとしてよく知られている。大事件として報道されると、それが典型的でよく起こる出来事と思いがちなのだ。

経済学者は、こういうバイアスを非合理的な行動と考え、「正しい」リスク評価にもとづいて意思決定すべきだというが、ビジネスマンにとってはそうとも限らない。メディアにとっては、スキー場で骨折したとかタバコで肺癌になったという事件にはニュース価値がないが、薬害や原発事故は大きなニュースになる。そして彼らが大きく報道するために、人々のバイアスはさらに大きくなるのだ。

同じようにバイアスに迎合するビジネスは、政治家である。テロによってアメリカ人が死亡する確率は落雷で死ぬ確率より低いが、人々はテロを恐れる。ブッシュ大統領はこれに迎合して「テロとの闘い」に数千億ドルを費やし、再選を果たした。日本の民主党は「温室効果ガス25%削減」という非現実的な政策を掲げて政権を取った。地球温暖化のリスクよりその対策のコストのほうが大きいが、多くの有権者に地球温暖化を恐れるバイアスがあるかぎり、それに迎合することが合理的だからである。

もう一つは弁護士である。薬害や医療事故はマスコミが大きく報道するので同情を引きやすく、巨額の賠償が取れる。アメリカでは、シリコン豊胸材によって関節リウマチなどの結合組織の疾患が起こるとして集団訴訟が起こされ、豊胸材のメーカーは42億ドルの賠償で和解し、ダウ・コーニングは破産した。しかしその後の医学的な研究で、豊胸材と結合組織の病気には因果関係がないという結論が出た。

マーケティングで重要なのは「客にとって何が必要か」ではなく「客が何を求めているか」だから、セールスマンにとってもバイアスは重要である。鉄道事故で死亡するリスクは航空機事故よりはるかに大きいが、航空機事故の保険は売れても「電車保険」は商品にならない。プロスペクト理論の教えるように人々は変化率に反応するので、おでんが1年で一番売れるのは10月の急に冷え込んだ日だから、気温ではなくその変化率に合わせて商品をそろえるべきである。

トレーダーにとっても、プロスペクト理論は効率的市場仮説より役に立つ。国債の客観的リスクがいくら大きくても、金融村でみんなが買っていれば、同じように国債を買うのが正解だ。金利上昇リスクより為替リスクを極端にきらうホーム・バイアスも、20年続けば客観的真理になってしまう。ケインズも述べたように、相場は「誰が美人か」ではなく「誰が多くの人に美人と思われるか」で動くからだ。そもそも相場では、客観的真理が存在するかどうかも疑わしい。

経済学では、合理的個人が客観的真理を知っていることになっているが、これは実験結果とは一致しない。経済学者の政策提言が役に立たないのも、彼らが政治家や国民のバイアスに配慮しないで、理想主義的な「ゼロベース」の提案ばかりしているからだ。人々は現状を基準にしてそこからの変化率で考えるので、そういうバイアスに迎合して政策を売り込むマーケティングも必要だろう。