佐賀県武雄市の「被災犬受け入れ計画」について孫正義氏のつぶやきに私が「行方不明がまだ1万人以上いるのに、犬の心配してる場合じゃないでしょ」とコメントしたら、驚くほど多くの反発がきた。これは市が公共施設に犬を収容するのではなくNPOの支援を斡旋するという話らしいので、私のコメントにも誤解があったが、考えさせられたのは反論の多くが「人命も犬の命も同じだ」と怒っていたことだ。

その通りである。犬の命も猫の命も、牛の命も豚の命も同じだ。ではなぜ「牛を殺すのはかわいそうだ」という話にならないのだろうか。いうまでもなく、牛は殺すために飼われているからだ。デリダも指摘するように、犬をかわいがって牛を殺すのは、西洋の自民族中心主義にすぎない。インドでは許されない。

まだ行方不明が15000人以上いるということは、救援・捜索活動の手が足りていないということだ。被災地でもペットを施設に収容する話が美談として伝えられているが、ペットを救う余裕があるなら一人でも多くの人間を救うのが先であり、野犬化する犬は処分すべきだ。行政がその優先順位を混乱させるような指示を出してはいけない。

原発事故を拡大したのは安全より廃炉を恐れた東電であり、政治を混乱させているのは、いまだに子ども手当を捨てられない民主党である。こういう愚かな企業や政治家を生み出したのは、感情で動く愚かな国民だ。この20年、日本はすべてを守ろうとして、すべてを失ってきた。いま必要なのは、優先順位をつけて「捨てる勇気」である。それがわからない限り、日本はいつまでも負け続けるだろう。