菅内閣は「首相のクビと引き替えに予算を通してくれ」という話も出る政権末期だ。こんな内閣に財政再建ができるはずもないが、首相の首をすげかえても展望がないのは同じだ。こういうふうに果てしなく問題が先送りされる状況をみていると、1992年に不良債権の番組の取材をしていたころを思い出す。

当時、危ないといわれていた日住金が「当社は倒産状態」と書いた衝撃的な秘密報告書を出し、業界で流通していた。1兆円の債務超過という絶体絶命で、存続会社と清算会社をわけて清算する案をメインバンクが提案したが、大蔵省(寺村銀行局長)が握りつぶした。それが国会で表面化したのは4年後で、住専のメインだった長信銀がすべて消滅したのは10年後だった。

そのころ日本の銀行はすべて実質的に債務超過で、支払い能力(solvency)がないことは明らかだったが、取り付けが起こらないかぎり流動性(liquidity)はあるので、見た目には延命できる。しかし問題の先送りで資本を食いつぶしているうちに、地価がさらに下がって致命的な事態になることは予想できた。多くの経済学者が「早期に破綻処理すべきだ」と提言したが、大蔵省は官製粉飾決算で問題を隠蔽し、金融システムを壊滅させてしまった。

似たようなことが、いま財政に起こっている。政府に1000兆円の債務の支払い能力がないことは明らかだが、借り換えを続けられる限り流動性は回る。しかし何かのきっかけで市場が一斉にアタックをかけると、支払い能力のない債務者は助からない。それがいずれ来ることは確実だが、いつ来るかは予想できない。不良債権の場合は1997年11月の拓銀・山一だったが、そのきっかけは三洋証券の10億円のデフォルトという小さな事件だった。市場にガソリンが充満しているときは、小さな火花でも大爆発を起こすのだ。

財政危機の規模は、正味で100兆円だった不良債権のほぼ10倍だ。これが爆発したときの破壊力は、かつての比ではない。そして客観的な支払い能力からみて、爆発は確実に起こる。問題はそれがいつかということだけである。私の印象でいうと、事態は拓銀・山一の前夜に似てきたような気がする。