戦後知の可能性―歴史・宗教・民衆タイトルの「戦後知」とは、編者によれば「敗戦直後から日本社会の現実に向き合って、社会の変革にかかわろうとしてきた啓蒙的知識人の系譜」だという。この自己規定にもあらわれているように、本書は丸山眞男や竹内好など10人の「進歩的知識人」を取り上げて、その再評価を試みたものだ。

論文集としては成功しているとはいいがたいが、ざっと読んで印象的なのは、対象となる「啓蒙的知識人」が共通にマルクス主義の強い影響を受けていることだ。もっともその影響の希薄な丸山でさえ、「講座派的近代主義」の一種ともいえる。吉本隆明や網野善彦はマルクス主義者であり、村上重良は共産党員だった。もっとも若い世代の柄谷行人でさえ、マルクスの影響を脱却できていない。

もう一つの共通点は、「西欧近代」に対するあこがれと反発のアンビヴァレンスだ。丸山のようにもっともモダニズムに近い人物でも、晩年には日本思想の「古層」への関心を強め、そこに近代の行き詰まりを打開するヒントがあるかもしれないと考えていた。他方、きわめて日本的な網野の「無縁」の思想は、ある意味ではリバタリアンに近い「絶対自由主義」だった。

しかしこうした啓蒙的知識人の系譜を見て感じるのは、彼らが戦後の歴史にほとんど何の影響も及ぼさなかったことだ。もちろんインテリや学生には影響を及ぼしたが、丸山のとなえた「全面講和」や「安保反対」は敗北し、竹内の賞賛した中国の文化大革命は惨憺たる結果になった。吉本の煽動した全共闘運動は、大量の「高学歴ワーキングプア」を生み出しただけだ。

残酷な言い方をすれば、日本の「戦後知」は思想的な自慰であり、負け組だった。それは彼らの取り組んだマルクス主義や西欧近代というテーマが、日本の現実と接点のない観念的な問題設定だったからだろう。人々にとっては「市民として自立」することより会社で出世するほうが大事であり、社会主義によって今より豊かになるという期待をもてなかった。日本の歴史を動かし、世界的にも注目されたのは、トヨタ式生産システムや「日本株式会社」だった。

しかし今、日本にとって丸山などの取り組んだ問題は避けられない。高度成長の果実を分配する家父長主義によって膨張した「日本型福祉社会」は、破産の危機に瀕している。政治は本来は90年代に通過すべきだった「小さな政府」への移行に失敗し、20年以上、混迷を続けている。個の自律は、かつての観念的ユートピアではなく、日本を建て直す上で避けて通れない問題だろう。